律の誕生日に、透はディナーを予約した。律が好きだと言ったことのある、神楽坂の隅の店だ。前日のうちにケーキも頼んでおいた。律の苦手な、苺の上にやたらクリームが乗っているのではない、ふつうのチョコのやつ。
当日、家を出る前に、透は花を抱えて律の前に立った。リビングの真ん中で、両手で抱えて、笑った。
「おめでとう」
律はソファに座ったまま、顔を上げた。花を見て、それから透の顔を見た。視線が、花から透へ移るときの間が、いつもより半拍長かった。
「ありがとう」
律の声は、低かった。低かったが、嫌そうではない。透は安心して、花を律の隣の床に置いた。
「予約取ってあるから、七時に出よう」
「うん」
律は短くうなずく。透はそのまま続けた。
「ケーキは帰ってから出すよ。チョコのやつ」
「うん」
うん、が続いた。透が次の言葉を探していると、律が口を開いた。
「お前これ、誰のためにやってる」
訊かれた意味がわからなかった。
「誰のため、って」
「俺の誕生日だってのはわかってる。けどこれ、お前が誰かに教えてもらった《恋人の誕生日のやつ》を、なぞってる感じがする」
透は黙った。なぞっている、とは思っていなかった。律が好きだと言った店だし、律が苦手なケーキは外したし、花は律の部屋に合う色を選んだ。全部、律のために考えた。考えたのに、なぞっている、と言われる意味が、よくわからない。
「おれ、なぞってるかな」
「自覚ないだろ。それがいちばんやばい」
律は花を一輪だけ抜いて、ソファのクッションの上に置いた。残りの花束は、抱え直そうと透が手を出すと、もういい、と短く制された。
「予約は行く。ケーキも食う。けど、お前さ、今日いっかい、なんも準備しないで俺の隣にいてくれない?」
なんも準備しないで、という言葉が、透の中にうまく入ってこなかった。準備しないで律の隣にいる自分、というのが、どうしてもイメージできない。準備をしてあげるのが好きで、それが律のためになると思ってきた。それを、しない、というのが、どういう状態なのか、わからない。
「やってみる」
そう答えた声が、舞台で台詞を引き受けるときと同じ抑揚をしていたことに、透は最後まで気づかなかった。