タイヤが砂利を噛む音がして、「おら行くぞー!」と、岡谷の声がした。それから布が引っ張られるような、くぐもった笑い声。鳴海の声だ。
スマホの画面にはLINEのトーク一覧が映っていた。誰にも用はない。未読もない。ただ親指が画面の上に乗っかっているだけで、スクロールすらしていなかった。
前を見なくていい理由が、掌のなかにある。それだけでよかった。
岡谷の自転車のペダルが軋むたびに、鳴海の「ちょ、待って」が遠くなる。半分笑ってて半分怒ってるみたいな、鳴海のいつもの声。襟を掴まれて走らされているはずなのに、足音にはちゃんと自分の意志がある。ついていくことを、体が選んでいる。
べつに、置いていかれたわけじゃない。
歩幅はいつも通りだった。速くもしないし、遅くもしない。体操服のズボンのポケットに左手を突っ込んで、右手にスマホ。前を歩く二人との距離が開いていくのは、ただ自転車のほうが速いからで、それ以上の意味はない。
ないはずだった。
画面の明るさだけが、やけに目に残る。五月の午後は空が白くて、液晶の光がうまく見えない。見えないものを見ているふりをしている自分がいて、そのことに気づいてしまうと、急に指先が所在なくなった。
角を曲がった先で、自転車の音が止まった。
岡谷が何か叫んでいる。校門のほうだ。鳴海が立ち止まっている。たぶん立ち止まっている。前を見ていないからわからない。でも足音が消えたことだけはわかった。
砂利を蹴る音。
今度は近づいてくる。
スマホをポケットにしまう暇もなかった。鳴海が横から腕を回してきて、肩の上に重みが乗った。体操服の、洗濯を何回もくぐった薄い生地の感触。汗のにおいが少しだけした。
「おっそ」
鳴海はそれだけ言って、笑った。息が上がっていた。襟元が伸びていた。さっき岡谷に引っ張られたせいだ。白い体操服の丸首が、歪んだまま鎖骨のあたりまで落ちている。
「……走ってきたの」
「岡谷が先行った」
それだけだった。説明はそれだけで、理由もそれだけで、でもそれだけのことがひどく正確に伝わった。岡谷が先に行ったから、おまえのところに来た。順番とか義務とかじゃなくて、手が空いたから来た。鳴海の行動原理はいつもそういうふうにできている。
肩に乗った腕が重い。鳴海は背が高いから、組むというより覆いかぶさるような格好になる。歩きにくい。歩きにくいのに、足がちゃんと前に出る。さっきまでと同じ歩幅のはずなのに、地面の感触が違う。
スマホは右手に握ったままだった。画面はもう暗くなっていた。
「鳴海、襟やばいよ」
「まじ?」
鳴海が片手で襟を引っ張って確かめた。伸びきったゴムみたいな丸首を見て、あーあ、と言って笑った。べつに困ってはいなかった。
つられて笑った。何がおかしいのかは自分でもわからなかった。ただ鳴海の肩の重みが揺れて、五月の白い空の下で体操服の襟が間抜けに伸びていて、自転車はもういなくて、LINEには未読がなくて、それでもここにいることが。
言葉にはならなかった。ならなくてよかった。
二人で歩いた。肩を組んだまま、校門のほうへ。鳴海がときどき思い出したように襟を気にして、そのたびに肩の重みが揺れた。
スマホをポケットにしまったのは、校門をくぐるすこし手前だった。
こういう3人組を、みたのです。