2026.05.19

体操服

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1,461文字 約2分

タイヤが砂利を噛む音がして、「おら行くぞー!」と、岡谷の声がした。それから布が引っ張られるような、くぐもった笑い声。鳴海の声だ。

スマホの画面にはLINEのトーク一覧が映っていた。誰にも用はない。未読もない。ただ親指が画面の上に乗っかっているだけで、スクロールすらしていなかった。

前を見なくていい理由が、掌のなかにある。それだけでよかった。

岡谷の自転車のペダルが軋むたびに、鳴海の「ちょ、待って」が遠くなる。半分笑ってて半分怒ってるみたいな、鳴海のいつもの声。襟を掴まれて走らされているはずなのに、足音にはちゃんと自分の意志がある。ついていくことを、体が選んでいる。

べつに、置いていかれたわけじゃない。

歩幅はいつも通りだった。速くもしないし、遅くもしない。体操服のズボンのポケットに左手を突っ込んで、右手にスマホ。前を歩く二人との距離が開いていくのは、ただ自転車のほうが速いからで、それ以上の意味はない。

ないはずだった。

画面の明るさだけが、やけに目に残る。五月の午後は空が白くて、液晶の光がうまく見えない。見えないものを見ているふりをしている自分がいて、そのことに気づいてしまうと、急に指先が所在なくなった。

角を曲がった先で、自転車の音が止まった。

岡谷が何か叫んでいる。校門のほうだ。鳴海が立ち止まっている。たぶん立ち止まっている。前を見ていないからわからない。でも足音が消えたことだけはわかった。

砂利を蹴る音。

今度は近づいてくる。

スマホをポケットにしまう暇もなかった。鳴海が横から腕を回してきて、肩の上に重みが乗った。体操服の、洗濯を何回もくぐった薄い生地の感触。汗のにおいが少しだけした。

「おっそ」

鳴海はそれだけ言って、笑った。息が上がっていた。襟元が伸びていた。さっき岡谷に引っ張られたせいだ。白い体操服の丸首が、歪んだまま鎖骨のあたりまで落ちている。

……走ってきたの」

「岡谷が先行った」

それだけだった。説明はそれだけで、理由もそれだけで、でもそれだけのことがひどく正確に伝わった。岡谷が先に行ったから、おまえのところに来た。順番とか義務とかじゃなくて、手が空いたから来た。鳴海の行動原理はいつもそういうふうにできている。

肩に乗った腕が重い。鳴海は背が高いから、組むというより覆いかぶさるような格好になる。歩きにくい。歩きにくいのに、足がちゃんと前に出る。さっきまでと同じ歩幅のはずなのに、地面の感触が違う。

スマホは右手に握ったままだった。画面はもう暗くなっていた。

「鳴海、襟やばいよ」

「まじ?」

鳴海が片手で襟を引っ張って確かめた。伸びきったゴムみたいな丸首を見て、あーあ、と言って笑った。べつに困ってはいなかった。

つられて笑った。何がおかしいのかは自分でもわからなかった。ただ鳴海の肩の重みが揺れて、五月の白い空の下で体操服の襟が間抜けに伸びていて、自転車はもういなくて、LINEには未読がなくて、それでもここにいることが。

言葉にはならなかった。ならなくてよかった。

二人で歩いた。肩を組んだまま、校門のほうへ。鳴海がときどき思い出したように襟を気にして、そのたびに肩の重みが揺れた。

スマホをポケットにしまったのは、校門をくぐるすこし手前だった。

こういう3人組を、みたのです。

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