毎週土曜の十四時から、息子はスイミングスクールに通っている。レッスンは一時間。
一時間をどう過ごすかは、待合室に足を踏み入れた瞬間に決まる。
ガラス越しにプールを見下ろせるその部屋には、すでに母親たちが集まっていて、パイプ椅子を寄せ合い、輪を作っている。話題は知らない。知らないが、声の密度でわかる。もう出来上がっている。
入れないのではない。入らないのだ。と自分に言い聞かせながら、私は会釈だけして踵を返す。毎週のことだ。もう誰も気にしていないと思う。思いたい。
一階の自販機コーナーの隅に、壁に寄りかかるようにして長椅子がひとつある。だいたい空いている。人が来ても自販機の用事で来るだけで、座りはしない。ここが私の指定席で、ここで本を開く。
今日の本は昨夜の続きだ。栞を挟んだところから読み始めると、三行で戻れる。自販機がときどき思い出したように唸るのと、二階から漏れてくる歓声と、廊下を走る子どもの足音。全部聞こえている。全部聞こえているのに、活字を追う目はちゃんと動く。不思議なもので、静かすぎるよりこのくらい雑音があるほうが集中できることがある。
耳は現実に置いたまま、意識だけが本のなかに行っている。これを人は現実逃避と呼ぶ。呼んでくれていい。逃避先が快適なら、それは娯楽と同じことだ。
ページをめくる手が止まったのは、区切りのいいところまで読んだからではない。視界の端で何かが動いた。
自販機コーナーの反対側、私の長椅子のちょうど対角にあるもうひとつの椅子に、女の人が座っていた。
スマホを見ている。
SNSかもしれない。動画かもしれない。でも、なんとなく。読んでいるな、と思った。根拠はない。ただ、指の動きがゆっくりで、画面を見る目が静かだった。あれはタイムラインを追う目ではない。
いつからいたのだろう。少なくとも私が気づいたのは今だけれど、あの座り方の落ち着きかたを見ると、しばらく前からそこにいたらしい。
その人が目を上げた。自販機が唸ったタイミングだったか、私の視線に気づいたのか。目が合った。
二秒くらい。三秒だったかもしれない。
その人は小さく口の端を動かした。笑ったのか会釈なのか、どちらとも取れる程度の。私も似たような顔を返したと思う。
それだけだった。
その人はスマホに目を戻し、私も自分の本に戻った。名前も知らない。どの子のお母さんかも知らない。来週もここにいるかどうかもわからない。
でも、と思う。あの二秒か三秒のあいだに交わされたものがあるとすれば、それはたぶん、同じことをしているね、という確認だ。確認であって、誘いではない。群れないことを選んだ人間は、同類を見つけても群れない。そういうものだ。
自販機がまた唸った。ページをめくる。物語の続きが待っている。
一時間は、案外あっという間に過ぎる。