知ってしまった、と思ったのは、彼の手が離れたあとだった。
握られていた左手のひらに、まだ熱が残っている。彼の手は厚かった。指の節がしっかりして、爪が短くて、握り返したときに骨のかたちがはっきりわかる。そういう手だった。離れたあとも、わたしの手のひらは、握られていた形のまま少しのあいだ硬くなっていた。
好きだ、と気づきたくなかった。
そう思ったのは、たぶん、気づいてしまったからだ。気づく前は、気づきたくないという余地さえなかった。彼はずっと、北極星のようなひとであってくれればよかった。旅人が道に迷うたび見上げて、ああ、まだそこにある、と確かめるための一点。動かないこと、それだけが彼の役目だった。わたしの方も、見上げる以上のことはしないと決めていた。決めていた、というのは正確ではない。決めるまでもなく、ずっとそうしてきた。
期待することをやめたのは、いつだっただろう。失望したくなかった、と言えばそれっぽいけれど、本当はもう少し手前の話だった。期待しないでいると、楽しいことも辛いことも、表面で滑っていってくれる。中庸というか、平たい場所。そこに長くいて、自分にはもう揺れる心は残っていないと思っていた。残っていないというより、置いてきたつもりだった。
なのに、握られた一回で、それは戻ってきた。
戻ってきてしまうと、欲が出る。同じだけの熱量を返してほしい、と思ってしまう。彼が崩折れて泣いたあの夜、わたしの胸の真ん中に小さな鉤がかかった。鉤は今も外せない。誠実なひとの泣きかたを見てしまうと、もうどこにも行けなくなる。
知らないままでいたかった。
彼を北極星のままにしておけたら、わたしはまだ、何も持たないでいられた。
手のひらの熱は、夜が深くなる頃にようやく薄まる。薄まったあとも、握られていたという事実だけは消えない。それを抱えたまま、わたしは明日の朝になっても、彼に会えば北極星を見上げるふりをするのだろう。見上げているだけのふりが、いつまでできるか、わからない。