人の好みを覚えるのは昔からだった。
友達の鞄のキーホルダーが変わったら気づく。先生がいつもと違う靴を履いていたら目がいく。クラスメイトが昨日と同じ服を着ていても気づくけれど、それは言わない。気づいていることを全部口にしたら変な子だと思われる、というのは中学生くらいで学んだ。
カフェで働きはじめて三週間が経って、この体質がはじめて居場所を見つけた気がしている。
お客さんの顔はだいたい覚えた。顔だけじゃなくて、好みも入ってくる。ミルクを先に入れる人。砂糖を二回に分けて入れる人。窓際じゃないと落ち着かない人、カウンターにしか座らない人。意識して記憶しているわけじゃない。目に入ったものが消えずに残る、というだけのこと。
「いつものでいいですか?」
と聞いたとき、常連さんの顔がやわらかくほどけるのが見える。覚えていてくれた、とその人は思っている。あたしとしては覚えようとして覚えたのではなくて消えないだけなのだけど、その差をわざわざ説明する理由もない。ほどけた顔を見るのが好きだ。好き、という言い方で合っているのかはわからない。自分の中の回路がちゃんと繋がった、みたいな感触に近い。
この前、常連のマダムがアルバムを持ってきた。
品のある方で、いつもブレンドをブラックで注文する。その人がカウンターに来て、すこし照れたように革のアルバムを開いた。庭の薔薇の写真が何枚も貼ってあった。品種の名前をひとつずつ教えてくれた。ピエール・ドゥ・ロンサール、アイスバーグ、ブルームーン。亡くなったご主人が育てていた薔薇を、いまはマダムがひとりで世話しているのだと言った。
すごいですね、と言った。心からそう思った。写真をめくるマダムの指がすこし震えていて、この薔薇がこの人にとって何なのかは、名前を覚えるよりも先に伝わってきた。
マダムが帰ったあと、カウンターの下で手を握って、開いた。
疲れた、というのとは違う。厳密には疲れてもいるけれど、それだけでは足りない。あたしはあの薔薇をちゃんと美しいと思った。マダムの話を聞いて、ちゃんと胸が詰まった。思っていたのに、マダムが店を出た瞬間、すこしだけ息を吐いた自分もいた。
人に好かれることには重さがある。
持てないほどじゃない。でも手の中にたしかにある。お客さんがあたしに向ける信頼みたいなものは、あたしの努力や技術ではなく――なんだろう、体質としか言いようがないものに向けられている。好かれて嬉しい気持ちと、それに見合うだけのものを返せているのかという不安が、閉店後に背中にくる。両方ちゃんとほんとうだから始末が悪い。
土曜日はとくに忙しくなった。あたしが入ってから客が増えたらしい。店長がうれしそうに言っていた。うれしいと思う。思うけれど、増えた客のぶんだけ差し出されるものも増える。
入口近くの席にいつも座っている女性がいる。本を読んでいるか、窓の外をぼんやり見ているか。ときどきあたしのほうを見ていることがある。値踏みする目ではない。なんだろう、心配に近いかもしれない。あたしのことを何か考えている顔をしている。
その人がある日「家で飲む豆を変えたい」と言ってきた。
「ふだんどういう感じで淹れてますか?」と聞いたら、ペーパードリップでさっぱりめに、と返ってきた。棚を見て、二つ候補を出した。片方を手に取りかけて、やめた。
「うーん、これ! は違うな」
もう片方を差し出した。
「こっちですね。すっきりしてるけど、あとからちょっとだけ甘い香りが来るんです。お家で飲むなら、こっちのほうが長く付き合える感じだと思います」
あの人はすこし驚いた顔をした。驚いた、というか、何かを見つけたような顔。
合ってたかな、と思った。
帰ってシャワーを浴びて、髪をタオルで巻いたまま台所に立つ。今日は何杯淹れたか数えていない。四十杯は超えたかもしれない。それでも家に帰ると自分のぶんを一杯だけ淹れる。店で淹れるのは誰かのためのコーヒーで、これはあたしのためのコーヒー。同じ豆なのに味が違うのは、たぶん気のせいじゃない。
ドリッパーにお湯を注ぎながら、今日すすめた豆のことを考えた。あの人が家で淹れて、おいしいと思ってくれたらいい。すっきりしてて、あとから甘くて、長く飲める。あたしの体質がそう判断しただけで、合っているかどうかは飲んだ人にしかわからない。
コーヒーが落ちきった。カップに注いで、ソファに座って、一口飲んだ。テレビはつけない。
誰にも出さないこの一杯を、いまのところ好きでいられている。このまま好きでいられたらいいと思う。好きでいられなくなったら、たぶんこの仕事は続けられない。だからあたしはこの一杯を大事にする。毎日の最後に、自分のためだけに淹れる。
明日も忙しいだろう。明日も、たぶん、大丈夫。