人肌は癖になる。
知っていたから避けていたのだと思う。溺れやすい人間だと自覚がある。だからこそ自分で一線を引いてきた。触れなければ欲しくならない。欲しくなければ失う恐怖もない。そういう計算で生きてきた。
原始反射というものがある。生まれたばかりの赤子が、掌に触れたものを握る。教わったわけではない。身体がそう動く。人に触れたいという衝動はたぶんあれに近い。理屈ではなく、もっと古いところにある。
一度触れてしまうと、孤独が埋まる感覚がある。埋まること自体が快楽で、多幸感と呼ぶにはあまりにも原始的な何かが身体中に広がる。体毛を撫でられると快感が起きるのは、皮膚の下の神経が反応するからだと聞いた。理由がわかっても感覚は変わらない。
癖になる、と最初に言ったのはあの人だった。
冬の終わりで、暖房の効きが悪い部屋だった。膝掛けが一枚しかなくて、半分ずつ分けて肩に掛けていた。布の面積が足りないから、どうしても隙間ができる。腕と腕のあいだに冷気が入ってくるのが気になって、無意識に身体を寄せた。先に触れたのが自分だったのか相手だったのか、もう覚えていない。ただ、二の腕の外側が相手の袖越しに触れた瞬間、布一枚の向こうにある熱がはっきり伝わってきて、その温度に驚いた。暖房よりよほど確かな熱だった。
しばらくどちらも動かなかった。テレビか何かがついていた気がする。音は覚えていない。覚えているのは、腕が触れている面積がほんの数センチだったこと、その数センチが異様にはっきり輪郭を持っていたことだけだ。
「癖になるよ、これ」
声に笑いが混じっていた。こちらを見ないまま、画面のほうを向いたまま言った。
そうかもしれないと思ったけれど、返事はしなかった。返事をしたら認めることになる。認めたら、次もこの距離を求めてしまう。
結局、求めた。
次に会ったとき、隣に座った。膝掛けはない。季節が少し進んで、もう必要なかった。口実がなくなったのに、腕は触れた。今度は意識的だった。自分から数センチ詰める。相手は何も言わなかった。視線だけが一瞬こちらに動いて、すぐ戻った。
指先が触れたのはその日だったか、その次だったか。手の甲に相手の小指が当たって、そのまま離れなかった。どちらも引かない。冷たい指だった。自分の手も冷たかった。冷たい同士が触れていても温かくはならないはずなのに、接触面だけが鮮明に発熱している感覚があった。
「手、冷たいね」
今度は自分が言った。
「そっちも」
そう返されて、少し笑った。冷たいとわかっているのに離さない。離さないことの意味を、二人とも言葉にしなかった。
中毒でも依存でもなく、癖。あの人の言い方は正しかったと思う。やめようと思えばやめられる気がする。気がするだけで、やめない。やめたくないから。触れた場所の輪郭がいつまでも消えないで、服の上からでもそこだけ温度が違う。知っていたのに触れてしまった。知っていたから避けていたのに、避けきれなかったことを、後悔とは少し違う気持ちで眺めている。
計算で生きてきたはずだった。計算の外にあるものに触れると、計算が狂う。狂ったまま、元に戻す気がない。