美都が「もう無理かも」と言い出したのは、トマトクリームパスタをフォークでぐるぐる巻きにしながらだった。バイトを変えて、まだ三日。
「早くない?」
「早いよ。自分でもわかってる」
美都はフォークを皿に置いて、ため息をひとつ。それから堰を切ったように話し始めた。
「リーダーの人がさ、もう、ほんとに」
「どんな感じ?」
「わかんないこと聞いたら露骨に不機嫌になるの。は? みたいな顔する。あたしまだ三日目なんだけど、って思って。聞かなきゃわかんないし、聞いたら怒るし、じゃあどうすんのっていう」
美都がパスタを口に運ぶ。咀嚼しながらも苛立ちが収まらないのか、フォークの先で皿をこつこつ叩いている。
「そのリーダー、長いの?」
「それがさ、あとで聞いたら一ヶ月なんだって」
「え、それはリーダーがどうとかじゃなくて、バイト先がやばいやつじゃない?」
「ね。あたしもそう思った」
人が定着しないのだろう。一ヶ月の人間がリーダーをやっている現場というのは、もう働いてる人だけの問題ではない。
「しかもさ、言い方がいちいち引っかかるの。たとえば『じゃあ、あとはこっちでやっておくんで』って、文面だけ見たら優しくない?」
「うん。ふつうにいい人っぽい」
「でもそれを、すみませんって呼んだ時点でもう不機嫌なの。声が低くて、目が合わなくて、こっちに向ける顔がもう全部嫌そう。言葉は丁寧なのに、顔と声が全否定してくるっていうか」
「フキハラだ」
「完全にフキハラ。で、機嫌いい日はニコニコしてんの。普通に話しかけてくるし、冗談とか言うし」
「情緒不安定か」
「ほんとそれ。その落差がきつい。あんたの機嫌をこっちに押し付けるなよって」
わたしはアイスティーのストローを噛みながら聞いていた。聞けば聞くほど、嫌な職場だ。
「一緒に入った子がいるんだけど、その子なんかもっとひどくて。ターゲットにされてるっていうか、なんかネチネチ言われてる。言い返せないタイプの子だから余計に」
「うわ」
「かわいそうでさ。でもあたしが何か言ったところで余計こじれるだけだし」
美都はパスタの残りをかき集めるようにフォークを動かした。
「男の人ってさ、わかんないって言えないのかな」
ちょっと雑な括りだな、と思ったけど、美都が苛立っているときに正論を挟んでもしかたがない。
「いや、人によるか。前からいるおじちゃんはめっちゃ優しいんだよ。これってどうなんだろうねえ、っていっつも女性陣と話してて。あのおじちゃんがリーダーだったらよかったのに」
わたしはしばらく考えていた。一ヶ月でリーダーを任されて、まだ自分だって何もわかっていないはずの人。そこに新人が入ってきて、わからないことを聞かれる。
「もしかしてさ、その人、聞かれるから怒ってるんじゃなくて、自分もわかんないから怒ってるんじゃない?」
美都がフォークを止めた。
「聞かれたとき、自分も答えられないのが嫌なんだと思う。わかんないって言えないから、不機嫌で返すしかない。機嫌いい日は、たぶん仕事が回ってる日。つまり聞かれても答えられる日」
「……あー」
「だからって良いわけじゃないけど」
「うん。良くはない。まったく良くない。でもちょっと納得はした」
美都はパスタを食べ終えて、伸びをした。背もたれに体を預けて、天井を見上げる。
「今日さ、台風来るから明日休みだって」
「おお」
「やったねって話してたの。リーダーとじゃなくて、おじちゃんと」
「そりゃそうだ」
ふたりで少し笑った。
「リーダーにはリーダーの苦労があるんだろうけどさ」
「あるんだろうね。一ヶ月でリーダーって、ふつうにしんどいよ」
「でもフキハラは良くない」
「それはそう」
美都はスマホを取り出して、明日の天気を確認していた。画面には赤い暴風域の円がゆっくり北上している。
「休みなの確定?」
「グループLINEに来てた。明日は終日クローズだって」
「じゃあ明日どっか行く?」
「台風なんだけど」
「台風のあとで」
美都がようやく、今日いちばんの顔で笑った。