2026.06.19

ご機嫌のゆくえ

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1,825文字 約3分

美都が「もう無理かも」と言い出したのは、トマトクリームパスタをフォークでぐるぐる巻きにしながらだった。バイトを変えて、まだ三日。

「早くない?」

「早いよ。自分でもわかってる」

美都はフォークを皿に置いて、ため息をひとつ。それから堰を切ったように話し始めた。

「リーダーの人がさ、もう、ほんとに」

「どんな感じ?」

「わかんないこと聞いたら露骨に不機嫌になるの。は? みたいな顔する。あたしまだ三日目なんだけど、って思って。聞かなきゃわかんないし、聞いたら怒るし、じゃあどうすんのっていう」

美都がパスタを口に運ぶ。咀嚼しながらも苛立ちが収まらないのか、フォークの先で皿をこつこつ叩いている。

「そのリーダー、長いの?」

「それがさ、あとで聞いたら一ヶ月なんだって」

「え、それはリーダーがどうとかじゃなくて、バイト先がやばいやつじゃない?」

「ね。あたしもそう思った」

人が定着しないのだろう。一ヶ月の人間がリーダーをやっている現場というのは、もう働いてる人だけの問題ではない。

「しかもさ、言い方がいちいち引っかかるの。たとえば『じゃあ、あとはこっちでやっておくんで』って、文面だけ見たら優しくない?」

「うん。ふつうにいい人っぽい」

「でもそれを、すみませんって呼んだ時点でもう不機嫌なの。声が低くて、目が合わなくて、こっちに向ける顔がもう全部嫌そう。言葉は丁寧なのに、顔と声が全否定してくるっていうか」

「フキハラだ」

「完全にフキハラ。で、機嫌いい日はニコニコしてんの。普通に話しかけてくるし、冗談とか言うし」

「情緒不安定か」

「ほんとそれ。その落差がきつい。あんたの機嫌をこっちに押し付けるなよって」

わたしはアイスティーのストローを噛みながら聞いていた。聞けば聞くほど、嫌な職場だ。

「一緒に入った子がいるんだけど、その子なんかもっとひどくて。ターゲットにされてるっていうか、なんかネチネチ言われてる。言い返せないタイプの子だから余計に」

「うわ」

「かわいそうでさ。でもあたしが何か言ったところで余計こじれるだけだし」

美都はパスタの残りをかき集めるようにフォークを動かした。

「男の人ってさ、わかんないって言えないのかな」

ちょっと雑な括りだな、と思ったけど、美都が苛立っているときに正論を挟んでもしかたがない。

「いや、人によるか。前からいるおじちゃんはめっちゃ優しいんだよ。これってどうなんだろうねえ、っていっつも女性陣と話してて。あのおじちゃんがリーダーだったらよかったのに」

わたしはしばらく考えていた。一ヶ月でリーダーを任されて、まだ自分だって何もわかっていないはずの人。そこに新人が入ってきて、わからないことを聞かれる。

「もしかしてさ、その人、聞かれるから怒ってるんじゃなくて、自分もわかんないから怒ってるんじゃない?」

美都がフォークを止めた。

「聞かれたとき、自分も答えられないのが嫌なんだと思う。わかんないって言えないから、不機嫌で返すしかない。機嫌いい日は、たぶん仕事が回ってる日。つまり聞かれても答えられる日」

……あー」

「だからって良いわけじゃないけど」

「うん。良くはない。まったく良くない。でもちょっと納得はした」

美都はパスタを食べ終えて、伸びをした。背もたれに体を預けて、天井を見上げる。

「今日さ、台風来るから明日休みだって」

「おお」

「やったねって話してたの。リーダーとじゃなくて、おじちゃんと」

「そりゃそうだ」

ふたりで少し笑った。

「リーダーにはリーダーの苦労があるんだろうけどさ」

「あるんだろうね。一ヶ月でリーダーって、ふつうにしんどいよ」

「でもフキハラは良くない」

「それはそう」

美都はスマホを取り出して、明日の天気を確認していた。画面には赤い暴風域の円がゆっくり北上している。

「休みなの確定?」

「グループLINEに来てた。明日は終日クローズだって」

「じゃあ明日どっか行く?」

「台風なんだけど」

「台風のあとで」

美都がようやく、今日いちばんの顔で笑った。

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