ひとりでいるのはよくない。余計なことばかり考えてしまう。
友人から写真が送られてきた。何人かで集まった食事の席で、テーブルの上に皿が並んで、誰かの手がグラスを持ち上げている。添えられた文面は短かった。来ればよかったのに。
行けばよかった。行こうと思っていたのに、当日の夕方になって、靴を履く気力がなくなった。体調が悪いわけではない。億劫という言葉は知っていたが、それとも少し違う。外に出て、笑って、誰かの話を聞いて、自分も何か話して、帰ってくる。その一連を想像しただけで、もう済ませた気分になった。済ませた気分になったのに、何も済んでいない。
返信に指が止まった。ごめん、と打ちかけて消した。次は行く、と打ちかけて、それも消す。何を打っても嘘になる気がした。次も行かないかもしれない。行かないかもしれない自分に、先に謝っておくような文面は打ちたくなかった。
画面を伏せて、暗い部屋に仰向けになった。
不純物を取り除く、という言い方がある。余計なものを濾して、純粋な気持ちだけを残す。そうしてできた気持ちを供物のように崇めて、これが本当の自分だと信じたがる。けれど不純物を取り除いた先にあるのは、飽和食塩水みたいなものだと思う。これ以上何も溶けない。透明で、きれいで、もう何も受け入れない。
窓の外でキョウチクトウが揺れている。毒があると知ってから、きれいに見えるようになった。街灯の光を受けて、葉が白く光っている。
携帯が震えた。さっきの友人だった。
大丈夫?
開くと、予想通りだった。大丈夫だよ、と打って、送った。嘘ではないし、本当でもない。大丈夫の定義による。生きているという意味では大丈夫だ。靴を履けなかったという意味では大丈夫ではない。
返信はすぐに来た。了解、おやすみ。それだけだった。それだけで、胸の底にあった何かが少しだけ動いた。ほんの少しだけ。飽和食塩水に、一粒の塩を落としたくらいの。溶けない。溶けないのに、水面が揺れた。
ひとりでいるのはよくない。わかっている。わかっていて、動けない夜がある。でも、動けない夜にも、誰かの文字が届くことがある。それを読んで、画面を伏せて、また天井を見る。
キョウチクトウが揺れている。明日の朝、返信をもう一通、打つかもしれない。打たないかもしれない。まだわからない。