2026.05.12

図々しい

サイト限定

683文字 約1分

同じだけの感情は返ってこない。それをわかっていて、改めて突きつけた上で、寄り添おうと言っているのだ。

図々しい。

自分でもそう思う。釣り合わないと知っている。一方が重く、一方が軽い。天秤にかけたら一瞬で傾く。そのことに気づいていない方が楽だったが、気づいてしまった。相手の目を見ればわかった。嫌われてはいない。ただ、同じ温度ではないのだ。好意はある。好意はあるけれど、こちらが差し出すものとは重さが違う。気づいた上で言うのだから始末が悪い。言い訳のしようがない。言い訳をしようとも思わない。

人は愚かだ、ある一点においては。
理性が届かない場所がある。どれだけ整理しても、整頓できない引き出しがひとつある。もう、溶かされてしまった。いつ溶けたのか、正確には言えない。笑い方だったのか。不意に見せた横顔だったのか。荷物を持とうとして手が触れたときだったのか。どれかひとつが決定的だったのではなく、全部が少しずつ効いていた。気づいたときにはもうそうなっていた。戻れない場所まで来ていた。気づくのはいつも少し遅い。

なにも感じないままでいることは難しい。何度試みてもできなかった。感じないふりはできた。しばらくはもった。しかしふりはふりだ。やがてほころびる。些細なことで。名前を呼ばれただけで。それで全部だめになる。

離れても苦しいなら、一緒にいても同じかもしれない。苦しさの種類が変わるだけかもしれない。それでも、と思う。それならばせめて、と思う。図々しいとわかった上で言う。ちゃんと言う。返ってこないとわかっている言葉を、それでも声にする。

掌編 シリーズの他の作品

  1. 輪郭をなぞる
  2. 0.5秒
  3. 穴埋め
  4. 行きつけ
  5. 体質
  6. 密閉
  7. ご機嫌のゆくえ
  8. 秋の日は鶴瓶落とし
  9. 人肌は癖になる
  10. うちのママの絵
  11. 指定席
  12. 風邪をひいた時に見る夢
  13. 飽和食塩水
  14. 促音便
  15. 影送り
  16. 苦しそうな顔をする
  17. 頭を撫でる話
  18. 横溢
  19. 迷信に頼りたくなる日
  20. 懺悔する癖
  21. 雨は地に恋して落ちてくる
  22. 調律
  23. 督促
  24. 青切符
  25. 空にする
  26. 金曜日の六個
  27. 面接後の儀式
  28. 赤字
  29. 体操服
  30. 全員まる
  31. 右側の男
  32. 若竹色のラリエット
  33. 鏡のかけら
  34. 走性
  35. 体温
  36. 馬鹿になる
  37. なくしたくない
  38. 正解の温度
  39. 北極星のままで
  40. 過淡
  41. ルブタン履いて外股の女
  42. 発泡ウレタンの日