行きつけのカフェが最近やけに混んでいる。
べつに新メニューが出たわけでも、雑誌に載ったわけでもない。あの店はもう十年以上ああやって静かに営業していて、常連の顔ぶれは年単位でしか変わらない、おだやかな場所だった。それがここひと月ほど、土曜の昼にいつもの席が埋まっている。いつもの席というのは入口近くの二人がけで、窓の外と店内の両方が見えるところだ。一人で来て一人で座る場所としては、わたしにとってあれ以上の配置はない。
混んでいる理由はすぐにわかった。新しい店員さんが入っていた。
若い。可愛い。それはまず目に入る情報としてそうなのだけど、可愛いだけで常連のカフェの空気は変わらない。何度か通ううちに、この子の引力の正体がわかってきた。
話を聞くのが上手い。
正確には、聞くだけじゃなくて進めるのが上手い。客がなにか言いかけると、それをもう掴んでいるくせに見せない。「ええ」「そうなんですか」と素朴な相槌を返しているうちに、客のほうが勝手に言いたいことを言い切っている。話し終えた客はみんなすこし晴れた顔をしていて、あれは技術なのか天性なのか、たぶん両方なのだろう。
おばさんのわたしが言うのもなんだけど、もしわたしがおっさんだったら好きになってると思う。性別に関係なく人を引き寄せる力があって、本人はおそらくそこまで自覚していない。自覚していないから嫌味にならない。
ある土曜日、いつもの席でコーヒーを飲んでいたら、見覚えのあるマダムが小脇にアルバムを抱えて入ってきた。品のある常連さんだ。いつもブレンドをブラックで、世間話はしても長居はしない人。そういう人だと思っていた。
そのマダムが、カウンター越しに新しい店員さんへアルバムを開いて見せていた。
彼女は身を乗り出して覗き込んで、ときどき小さく驚いた顔をして、ときどき深くうなずいていた。マダムの口元がほころんでいた。何が写っているのかはわからない。庭か、孫か、旅の記録か。どちらにしても、あのマダムが誰かにアルバムを見せている姿を、わたしは十年通って一度も見たことがなかった。
人に見せたいものが増えるのは、見せたい相手がいるからだ。
たぶんこの店にいるみんなが、いつの間にかあの子の前でいろいろなものを差し出しはじめている。注文以外のものを。自分の話、自分の写真、自分のちょっとした自慢や弱音。財布よりも先に心のほうを開けてしまう何かが、あの子にはある。
でもそのぶん、彼女はどうなのだろう。
全然嫌な顔をしない。しないのか、できないのか、しないと決めているのか。わたしがあの歳であの量の感情を毎日受け止めていたら、きっと夜は動けない。動けなくなっていることを客には見せないだろうけれど。
あるとき、家で飲む豆を変えたいと思ってカウンターで相談した。
「普段どういう感じで淹れてますか?」
「ペーパードリップで、わりとさっぱりめに」
「じゃあ――」
彼女は二つの袋を手に取って、片方をこちらに差し出しかけて、やめた。
「うーん、これ! は違うな」
手を引っ込めて、もう片方をすこし近づけた。
「こっちですね。すっきりしてるけど、あとからちょっとだけ甘い香りが来るんです。お家で飲むなら、こっちのほうが長く付き合える感じだと思います」
ああ、と思った。この子はおすすめを押しつけない。いったん自分の中で選び直してから差し出す。一瞬の逡巡に、この子がお客とどう向き合っているかの全部が見えた気がした。
袋を受け取って店を出たら、秋の風がすこし冷たかった。
どうか健やかでいてほしい、とふと思った。たいして言葉を交わしたこともない相手に対して、おおげさだとはわかっている。アルバムを見せにくるマダムも、おっさんだったら好きになってると思っているおばさんのわたしも、あの子のやさしさに黙って寄りかかっている。寄りかかっていることに自覚的でいたい。それだけでは何の足しにもならないけれど。
帰って豆を挽いて淹れたら、ちゃんとおいしかった。すっきりして、あとからほんのり甘い。長く付き合える、の意味が一口でわかった。
せめてこの豆が美味しかったことを、次に行ったとき伝えよう。あの子のおすすめは正しかったと、それだけ言おう。それだけしか返せないけれど。
来週の土曜も、あの店に行く。