赤い底が、改札の手前で一瞬光った。
わたしの二歩前を歩いている女のヒールが、タイルの継ぎ目に引っかかりかけて、それでも止まらなかった。膝はうっすら外を向いている。歩幅は思ったよりせまい。腰から下を引きずるみたいに、けれど引きずってはいないという顔で、女は人混みを抜けていく。
ルブタンを履いた人を後ろから見るのは、はじめてだった。正確には、ルブタンだと気づいて見るのが、という意味でだけれど。外股、と頭のなかで呟いて、すぐに取り消す。外股というほど開いてはいない。ただ、内側へ閉じる気がない、という感じだった。爪先がきれいに前を向いていない。両足のあいだに、空気を通す気がある。その歩き方を、わたしはどこかで見たことがある気がした。
しばらく歩きながら考えて、ああ、と思いあたった。あの女優だ。子どもの頃から知っていた女優が、何年か前のドラマで、夜の街で殺される女の役をやっていた。子役の頃の彼女は、子どもらしい賢さと、年齢に合わない落ち着きを持っていて、わたしはなんとなく信頼してその名前を見ていた。十代の半ばで水着になって、二十代のはじめで戦隊もののピンクを演じた。健康的で、まっすぐで、スタジオの照明がよく似合う子だった。
そういう人が、ある夜、画面のなかで荒れた女になっていた。
髪は艶を抜かれていて、目の下は薄く青く、台詞のあいだに息継ぎが妙に多かった。芝居が、というより、その役の女が、息切れしていた。わたしはその回をぼんやり見ていたはずなのに、彼女が路地を歩いていく後ろ姿の数秒だけ、はっきりと覚えている。
なんてきれいな外股だろう、と思ったのだった。
膝が外を向いていた。爪先もすこし外を向いていた。歩幅は大きいのに、腰は揺れていなくて、上半身だけが先に夜のほうへ進んでいくみたいに見えた。下品ではなかった。そう見せようとしてやっている歩き方ではなかった。長いことそうやって歩いてきた人の、もう自分のものになってしまった歩き方だった。
戦隊のピンクだった彼女が、どうやってそれを身につけたのか、わたしにはわからない。役のために練習したのかもしれないし、もしかしたら、誰にも言わずにずっと持っていたものを、その役のときだけ表に出したのかもしれない。後者だったらいいな、と勝手に思った。
ルブタンの女は、改札を抜けて、エスカレーターには乗らずに階段を選んだ。意外だった。一段ずつ、踵を半分浮かせて、ヒールの先で体重を逃がすように降りていく。手すりは持たない。スマホも見ない。前だけを見ている。
降りきったところで、女はふと立ち止まり、片足のヒールの内側を、もう片方の足の甲で軽く擦った。靴擦れだ、とわかった。あの動作だけは、どんなに高い靴を履いていても、わたしたちは同じことをする。赤い底が角を曲がって見えなくなったあと、わたしは自分のスニーカーの爪先を見た。きれいに、内側へ向いていた。それが少しだけ、つまらなかった。
戦隊のピンクだった人の後ろ姿と、ルブタンの女の後ろ姿が、わたしのなかでしばらく重なっていた。たぶん二人とも、自分の歩き方を、誰にも説明しないまま連れて歩いていくのだろうと思った。