秋の日は鶴瓶落とし、という。さっきまで明るかった空が、気づくと暗い。井戸の底に落ちる桶のように、一気に沈む。その速さにいつも驚く。何度秋を過ごしても慣れない。
法事の帰りだった。叔母の三回忌。座敷に通されて、仕出しの蓋を開けて、ビールを注ぎ合って、そうしているうちに誰からともなく叔母の話になった。
「あの人さあ、電話切るとき絶対こっちの返事聞かないで切ってたよね」
従姉が煮物を箸で持ち上げながら言った。母がすぐに頷く。
「そうそう。じゃあね、って言ったと思ったらもうツーツー。こっちがうんって言う前に」
「留守電もさ、名乗らないの。用件だけ言って切るから、最初誰かわからなかった」
叔父が湯呑みに手を伸ばしながら、まあそういう人だったよ、と笑った。
「せっかちなんじゃなくて、伝えたいことを伝えたらそれでよかったのよね」
母がそう言って、少し間があいた。
従姉がビールを傾けながら、ねえ、と切り出した。覚えてる、毎年お正月に叔母が持ってきてた栗きんとん。あれ手づくりだったんだって。私ずっと買ったものだと思ってた。母があら私もと目を丸くして、叔父がだから毎年十二月に入ると栗を煮てたんだと教えてくれた。三十日には必ず台所に立ってたよ。
「器用なのに絶対そういうこと言わないもんね」
「自分から言う人じゃないからね」
座敷に笑い声が満ちた。穏やかで、少し甘い、秋の午後のような笑い声だった。皿の音、箸を置く音、グラスのぶつかる音。そのどこにも叔母の声はなかった。笑い声の中にいないのは、叔母だけ。
帰り際、従姉が駐車場まで送ってくれた。気をつけてね、と言われて、うん、とだけ返した。
ステアリングを握ったまま、信号待ちの間に空を見た。十月の午後四時半。フロントガラスの上の方だけがまだ薄く光っていて、下半分にはもう街灯が映り込んでいた。二十四節気でいえば霜降のあたりだ。霜が降りる頃。実際に霜が降りるかどうかはともかく、暦の上では冬の手前にいる。
ラジオをつけた。何の曲か知らない。知らないまま流していた。知っている曲だと記憶が引っ張られる。知らない曲のほうが、ただの音として車内を満たしてくれる。
叔母は声の大きい人だった。大きいというより、遠くまで届く声。電話を切るのが早かったという話を従姉がしたとき、私はその声を頭の中で再生しようとした。じゃあね。その三文字すら音にならなかった。顔は覚えている。手の動きも覚えている。栗を煮ていたという台所の後ろ姿なら浮かぶ。でも声だけが再生できない。録音が残っていれば聞き直せるが、叔母は動画に撮られるのを嫌がった。残っていない。声は残らない。
あの座敷で皆が笑っていたのは、叔母の声を覚えている人たちだった。電話を切るときの声も、用件だけ吹き込む留守電の声も、黙って栗きんとんを差し出すときの、何も言わない声も。私にはもう音がない。覚えているのに聞こえない。記憶の中で叔母は口を動かしているのに、何も聞こえない。
信号が変わる。アクセルを踏む。帰り道はいつも同じ道で、同じ道なのに秋は景色が違う。葉の色が毎日少しずつ変わっていて、昨日見た木がもう違う木に見える。ゆっくり変わっているはずなのに、気づくのはいつも一気だ。鶴瓶落としなのは日暮れだけではない。
携帯が鳴った。助手席に置いてあったそれを、赤信号で拾い上げる。母からだった。
「着いた?」
まだ、と短く返して切った。母の声が耳に残った。さっき座敷で聞いたのと同じ声。この声もいつか思い出せなくなる。そのことを考えて、それ以上は考えなかった。
バックミラーに、沈みきった空が映っていた。追いかけても仕方のない光を背に走る。暗くなるのが早いだけで、朝はちゃんと来る。そんなことは知っている。知っているのに、毎年この速さに少しだけ取り残される。