異動の辞令が出たのは三月の末だった。
市民協働課から企画政策部の公共施設マネジメント推進室へ。奥寺雅人は辞令の文面を読んだとき、推進室という名前の響きに、すでに走り出している列車に途中から乗せられるような感覚を覚えた。推進という言葉には方向がある。方向があるということは、結論がある。
着任初日、前任の机には段ボールが三つ残されていた。中身は紙の資料だった。公共施設等総合管理計画、個別施設計画、人口推計資料、耐震診断報告書、利用者数の推移を示すエクセルの印刷物。どれも背表紙の日付が二年以上前のもので、付箋が貼られたまま乾いて丸まっていた。
奥寺はそれらをひとつずつ開き、数字を追った。市内に百七十二ある公共施設のうち、築四十年を超えるものが六割。そのなかでもとりわけ利用率の低い十二施設が「見直し対象」として赤い付箋でマークされていた。赤い付箋のうちのひとつが、東地区の桜ケ丘公民館だった。
課長の平野は奥寺より五つ上で、声が小さい割に話が長い男だった。着任の挨拶のあと、平野は奥寺をミーティングスペースに連れていき、桜ケ丘公民館の件を説明した。
「前任が土台はつくってくれてる。計画上の位置づけも済んでる。あとは住民参加のプロセスをきちんと踏んで、合意形成まで持っていくのが奥寺さんの仕事になる」
平野は「合意形成」という言葉を、まるで書類の提出期限を伝えるような調子で言った。
「住民説明会、ワークショップ、アンケート。全部段取りを組んでほしい。スケジュールは年度内。タイトだけど、やれないことはない」
「方針はもう決まっているんですか」
奥寺が聞くと、平野は少し間を置いてから答えた。
「決まってない。決まってないから住民の声を聞くんだよ。ただ、数字は数字だからね。耐震の問題もある。住民にもそこは理解してもらわないと」
決まっていないが、数字は出ている。理解してもらう、という言い回しの主語は行政で、目的語は住民だった。奥寺はそのことに気づいていたが、それ以上は聞かなかった。異動してきたばかりの人間が最初の打ち合わせで前提を疑っても、得るものは何もない。
段ボールの資料を整理しながら、奥寺は桜ケ丘公民館の利用者数のグラフを眺めた。十年前と比べて三割減。ただし減っているのは夜間と週末で、平日午前の高齢者向け講座と児童の放課後利用はほぼ横ばいだった。全体の数字は下がっている。部分を見れば、まだ使われている。どちらも事実で、どちらを先に言うかで印象が変わる。
奥寺は資料をファイルに綴じ直し、赤い付箋を剥がして捨てた。付箋がなくても、中身は変わらない。
第一回住民説明会は五月の第三土曜日、桜ケ丘公民館の多目的室で開かれた。
奥寺は朝九時に会場入りし、机を並べ、プロジェクターの接続を確認し、配布資料を五十部並べた。平野は「俺も顔は出す」と言っていたが、別件が入ったとメールが来た。土橋がアンケート用紙を持って現れたのは開始十五分前で、輪ゴムで束ねたままの用紙を受付のテーブルに置くと「あとはお願いします」と言って帰ろうとした。奥寺は土橋を引き止め、受付を頼んだ。
開始時刻の十時になっても、席は半分も埋まらなかった。奥寺は数えた。十八人。配布資料は五十部刷ってある。回収する手間が増えるな、と思ってから、考えることの順番が違うと気づいた。
参加者の大半は六十代以上に見えた。夫婦で来ている人が数組。若い世代は、三十代らしき女性が一人と、小学校高学年くらいの子どもを連れた父親が一人。子どもは開始五分で飽きて、持ってきた本を読み始めた。
奥寺はスクリーンに資料を映しながら説明した。市の公共施設をめぐる現状。人口減少と財政の見通し。施設の老朽化と維持管理コスト。桜ケ丘公民館の現況。説明しながら、自分の声が資料を読み上げる機械のように均質であることに気づいた。抑揚をつけようとすると、今度は営業のプレゼンのようになる。どちらにしても、聞いている側の表情は変わらなかった。
質疑応答に入ると、最初に手を挙げたのは最前列の中央に座っていた男性だった。白髪を短く刈り、薄いジャンパーを羽織っている。姿勢がいい。発言する前に一度咳払いをした。
「利用率が低いとおっしゃったが、それは利用率を上げる努力をしてこなかった結果ではないですか。講座の内容は十年前から変わっていない。広報もされていない。使われていないんじゃなくて、使わせていないんじゃないですか」
声は静かだったが、届いた。後ろの席で何人かがうなずいた。
奥寺は用意していた回答の枠組みのなかから、使える部分を探した。
「ご指摘はもっともだと思います。利用率の向上策については、今後の検討のなかで議論すべき論点のひとつだと考えています。本日の説明会は、現状をお伝えし、皆さんのご意見をうかがう最初の場として」
「最初の場、ということは、これで終わりではないんですね」
「はい。今後ワークショップを複数回開催し、アンケートも実施する予定です」
男性はうなずいた。納得ではなく、確認のうなずきだった。
説明会が終わり、参加者が帰っていくなかで、その男性が奥寺のところに来た。
「福島です。この公民館の元の館長をやっていました。非常勤の」
名前は参加者名簿で確認していた。福島義男、七十四歳。住所は公民館から徒歩五分の地区。
「説明会にお越しいただきありがとうございます」
「あんた、この公民館に来たことはありますか。今日が初めてでしょう」
奥寺は答えに詰まった。事実だった。着任してから桜ケ丘公民館に足を運んだのは、今日の会場設営が初めてだった。利用者数のグラフは何度も見たが、建物のなかで過ごしたことはなかった。
「今日が初めてです」
「そうでしょうね」
福島はそれだけ言って帰った。責めている口調ではなかった。確認しただけだった。事実を確認されることの方が、責められるよりも堪えると、奥寺はあとから気づいた。
第一回ワークショップは六月の最終土曜日に設定した。本来なら外部のファシリテーターに委託するところだが、予算がつかなかった。「奥寺さん、前の部署で市民協働やってたんだから大丈夫でしょ」。平野は笑っていた。大丈夫かどうかは別として、やるしかなかった。
参加者は十四人。説明会から四人減った。福島義男は来ていた。
奥寺は模造紙と付箋とマーカーを用意し、四人ずつのグループに分けた。テーマは「桜ケ丘公民館について思うこと」。まず個人で付箋に意見を書き、それをグループ内で共有し、模造紙に貼りながら分類する。市民協働課時代に何十回とやった進行だった。
書くことに慣れている住民と、そうでない住民がいた。ある女性は付箋五枚にびっしり書いた。ある男性は一枚に「なくなると困る」とだけ書いた。それぞれの付箋が模造紙の上に集められていく。「思い出」「不便」「建物の状態」「代替案」「財政」。分類する作業そのものに、参加者は少し楽しそうだった。自分の意見が模造紙の上に位置を与えられること。それ自体が、ひとつの承認として機能しているように見えた。
福島は付箋を一枚も書かなかった。
グループワークの時間が始まると、福島は同じテーブルの住民に話し始めた。声は大きくないが、途切れない。公民館ができた経緯。地域の寄付で建てた付属の倉庫のこと。かつて夏祭りの準備に使われた調理室のこと。話は具体的で、聞いている住民たちは引き込まれていた。だが、その内容は付箋には載らなかった。
奥寺はテーブルを回りながら、福島のそばに立った。
「福島さん、よろしければ付箋にも書いていただけますか。あとで全体共有するときに、記録として残せますので」
「書くと短くなる」
福島は奥寺を見上げて言った。
「四角い紙に収まる話じゃないんだよ、こういうのは」
奥寺は「そうですね」とも「それでもお願いします」とも言えなかった。福島の言うことは正しい。しかしワークショップという形式は、話を四角い紙に収めることで成り立っている。収めなければ記録にならない。記録にならなければ、なかったことになる。
全体共有の時間、各グループの模造紙がホワイトボードに貼り出された。意見は似通っていた。不便になる。思い出がある。でも建物は古い。財政が厳しいのはわかる。仕方がないのかもしれない。付箋の色が違うだけで、言っていることはほぼ同じだった。
福島のグループの模造紙には、ほかのグループより付箋が少なく、そのかわりに誰かがマーカーで書き足したメモがあった。「元館長より:公民館ができたのは昭和52年。地域の寄付で倉庫も建てた」。奥寺はそのメモを読んで、福島の話がかろうじて紙の上に残ったことに、安堵とも違う感情を覚えた。
片付けのとき、福島が模造紙を見ていた。
「まとめるとこうなるんだな」
奥寺には、それが感想なのか批判なのか、判断がつかなかった。
第二回ワークショップは七月、第三回は九月に行った。間にアンケートを挟んだ。配布二千部、回収六百二十三部。回収率三十一パーセント。土橋が集計した結果を奥寺に持ってきた。
「『賛成でも反対でもない』が最多です。四十二パーセント」
土橋はノートパソコンの画面をこちらに向けた。円グラフが表示されていた。「賛成」が二十三パーセント、「どちらかといえば賛成」が十五パーセント、「反対」が十一パーセント、「どちらかといえば反対」が九パーセント。
「合計すると、賛成寄りが反対寄りの倍近くありますね」
土橋は数字を読み上げるだけで、それについて何かを思っている様子はなかった。奥寺にはそれが少しうらやましかった。
「『賛成でも反対でもない』の人たちはどう解釈するんですか」
「解釈は僕の仕事じゃないので。ただ、自由記述欄を見ると、書いてある内容はだいたい『よくわからない』か『どちらでもいいが不便にはなってほしくない』です」
態度を決めかねている人が最も多い。それは当然のことだった。自分の生活に直接関わるかどうかわからない問題について、賛成か反対かを決められる人の方が少ない。問題は、この四十二パーセントが最終的にどちらに傾くかではなく、どちらにも傾かないまま物事が進んでいくことだった。反対しなかった、ということが、いつの間にか賛成したことになる。あるいは、どちらでもよかった、ということが、関与した上での容認として記録される。
第二回ワークショップの参加者は十一人、第三回は九人だった。顔ぶれはほぼ固定されていた。福島義男は全回出席していた。
回を追うごとに、ワークショップの空気が変わっていった。第一回にあった緊張は薄れ、参加者同士が名前で呼び合うようになった。奥寺のことも「奥寺さん」と呼ぶ人が出てきた。反対意見は消えなかったが、語調が変わった。「なくさないでほしい」が「なくなるなら、せめてこうしてほしい」に変わっていく。条件闘争に移行している。それは進展なのか、諦めなのか。
福島の変化はもっと微細だった。発言の内容は変わらない。公民館は必要だ、という主張は第一回から一貫している。ただ、説明会で見せた硬い表情は消え、奥寺に対して世間話をするようになった。ワークショップが終わったあと、駐車場で「今日は暑かったな」と声をかけてきたり、「あんたはいつも弁当か。このへんは食べるところがないからな」と笑ったりする。
奥寺はその変化に安堵した。同時に、安堵している自分を疑った。
福島との関係が良くなることは、合意形成にとってプラスだった。人は、嫌いな相手が持ってきた案には反対するが、信頼できる相手が持ってきた案には、内容が同じでも、譲歩しやすくなる。奥寺が福島と個人的に関係を築くことは、手続きの一部として機能する。意図しているかどうかにかかわらず。
九月のワークショップの帰り、福島が足を止めた。
「あんたは悪い人間じゃないと思うよ」
褒め言葉のはずだった。「ありがとうございます」。頭を下げながら、悪い人間ではない、ということと、正しいことをしている、ということは違う、と思った。
十月の日曜日、奥寺は桜ケ丘公民館を訪れた。業務ではなかった。ワークショップの次回日程を決めるための下見、という名目を自分に与えてはいたが、下見なら平日にやればいい。
公民館は住宅街の奥にあった。二階建てで、外壁のタイルが何箇所か剥がれている。入口の自動ドアは手動に切り替わっていて、引くと重かった。
中に入ると、一階のロビーに人がいた。高齢の男性が二人、将棋を指している。盤面を覗き込んでいる別の男性が一人。奥の和室からは話し声が聞こえる。二階に上がると、学習スペースに小学生が三人いて、ノートを広げていた。児童館が遠いのでここに来る、と以前のアンケートの自由記述にあったのを思い出した。
奥寺は館内を歩いた。多目的室、調理室、和室、研修室。どの部屋にも使い込まれた跡があった。調理室のガスコンロは型が古く、壁のタイルに油汚れが染みついていた。研修室のホワイトボードには、消し残しの文字がうっすらと見える。「次回:10/15」。何の次回なのかはわからない。
一階に戻ると、福島がいた。将棋を見ていた三人目の男性が福島だった。奥寺は気づかなかった自分に驚いた。
「見学か」
「いえ、少し……」
奥寺は自分がなぜここにいるのか説明できなかった。業務ではない。住民参加の一環でもない。利用者として来たわけでもない。建物のなかにいるのに、自分だけがどこにも属していなかった。
「見てどう思った」
福島が聞いた。将棋盤から目を離さずに。
奥寺は少し考えてから答えた。
「利用者数のグラフで見るのと、違いますね」
「そりゃそうだ。グラフには将棋の音は入っていない」
駒が盤に置かれる乾いた音がした。パチン、という音と、それに続く数秒の沈黙。奥寺はその音を聞きながら、この音が統廃合の資料のどこにも記録されないことを思った。利用者数にはカウントされているかもしれない。カウントされた数字と、この音の間には、埋められない距離がある。
「福島さんは、毎週来ているんですか」
「週に三回。月水金。館長をやめてからもう六年になるが、習慣は変わらんね」
六年間、週三回。それは延べにすると九百回を超える。九百回通った場所が閉まることの意味を、奥寺はデータとして知っている。データとして知っていることと、この場所に立って知ることは、違うことだった。
奥寺はそのまま何も言わずに公民館を出た。帰り道、住宅街の細い道を歩きながら、自分がいま感じていることを報告書に書くことはできないと思った。報告書に書けないことは、行政の判断に影響を与えない。影響を与えないものを感じることに、意味があるのかどうか。
意味がない、と思うことが、行政の正しさだった。
最終報告会は十一月の第二土曜日に設定された。
奥寺は方針案をまとめた。桜ケ丘公民館は令和九年度末をもって閉館し、機能を中央公民館に統合する。跡地の利用については今後検討する。閉館までの間、利用者への周知と代替施設への移行支援を行う。住民説明会、ワークショップ全三回、住民アンケートの結果を踏まえた方針案であること。
文書を書きながら、「踏まえた」という言葉の便利さについて考えた。踏まえた、は、反映した、とは違う。意見を聞いた上で判断した、という意味であって、意見の通りにした、という意味ではない。行政文書はこの種の言葉でできている。嘘ではないが、真実のすべてでもない言葉。
平野に方針案を見せると、「よくまとまってる」と言われた。赤字の修正は二箇所だけだった。一箇所は日付の誤記、もう一箇所は「統廃合」を「再編」に変えるという指示だった。
「『統廃合』は住民に刺さるから。『再編』の方が柔らかい」
奥寺は直した。言葉を変えても中身は同じだが、中身が同じでも言葉が違えば受け取り方は変わる。それを知っていて言葉を選ぶことは、配慮なのか操作なのか。
最終報告会の参加者は二十三人だった。説明会よりも多い。地域の自治会長が声をかけたらしい。奥寺はスクリーンに方針案を映し、説明した。今回は資料を読み上げるだけにはしなかった。ワークショップで出された意見をスライドに入れ、それぞれに対する行政の考え方を併記した。「皆さんのご意見を踏まえて」というフレーズを、奥寺は三回使った。
質疑応答では、予想していた質問が出た。跡地はどうなるのか。中央公民館までの交通手段は。高齢者向け講座は継続されるのか。奥寺はひとつひとつ答えた。答えられるものには答え、答えられないものは「今後検討します」で乗り切った。「今後検討します」は、「わかりません」よりも誠実に聞こえるが、約束はしていないという点では同じだった。
反対意見も出た。ある女性が立ち上がった。「やはり納得できない」。声が震えていた。「お気持ちは理解しています」。そう云ってから、理解していますという言葉の空虚さに気づいた。理解は何も変えない。
質疑が収束しかけたころ、福島が手を挙げた。
奥寺の胸のあたりが少し冷えた。福島が何を言うかによって、この場の結末が変わる。それを知っていること自体が、もう手続きの外にある感情だった。
福島は立ち上がった。
「自分は最初の説明会から出ています。この公民館の元の館長として、統廃合には反対してきました。いまも、賛成とは言いません」
会場が静まった。奥寺はペンを持ったまま動かなかった。
「ただ」
福島は一度言葉を切った。
「話は聞いてもらえたと思っています。ワークショップに出て、意見を言って、奥寺さんにも直接いろいろ話をした。それが方針に反映されたかどうかは、正直わからない。わからないが、聞いてもらえた、とは思う。それだけは言っておきたかった」
福島は座った。
奥寺はメモを取る手が止まっていた。再開しようとして、何を書けばいいのかわからなかった。
福島の発言は、この場を着地させた。反対だが、聞いてもらえた。その一言で、会場の空気が変わった。残りの参加者にとって、福島の言葉は免罪符になった。最も強く反対していた人が「聞いてもらえた」と言ったのだから、自分たちも受け入れていいのだ、と。
閉会の挨拶をしながら、奥寺は考えていた。福島のあの発言は本心だろうか。本心だとして、その本心を引き出したのは何だろうか。ワークショップの設計。複数回の対話の機会。奥寺自身との関係構築。それらすべてが、「聞いてもらえた」という感覚を生み出すための装置だったとしたら。
装置だとは思っていなかった。少なくとも、そう意図してはいなかった。意図していなくても、結果としてそう機能したのなら、意図の有無に意味はあるのか。
片付けをしているとき、土橋が来た。
「お疲れさまでした。うまくいきましたね」
「うまくいった、のかな」
「いったと思いますよ。反対の人も最後は落ち着いてましたし」
土橋は机を畳みながら、それ以上のことは何も考えていない顔をしていた。奥寺は土橋のその顔を見て、数年前の自分もこういう顔をしていたのだろうかと思った。
年が明けて、桜ケ丘公民館は三月末で閉館することが正式に決まった。
四月の第一週、奥寺は別の施設の件で東地区を回っていた。車を走らせていると、桜ケ丘公民館の前を通りかかった。建物はまだそこにあった。閉館しただけで、取り壊しは翌年度の予算で行う予定だった。入口にはチェーンがかかり、「閉館のお知らせ」と書かれた貼り紙が風に揺れていた。
奥寺は車を停めた。降りて、建物を見た。外壁のタイルが剥がれているところは前と同じだった。植え込みの低木は手入れされていなかった。建物は閉じられただけで、壊されたわけではない。人がいなくなった建物は、そこにあるだけで終わったもののように見えた。
フェンスの向こうに人影があった。公民館の裏手、かつて駐車場だったスペースに、人が立っていた。
福島だった。
奥寺は少し迷ってから、フェンスに沿って裏手に回った。福島はフェンスの外から建物を見ていた。
「福島さん」
「ああ、奥寺さん」
福島は驚いた様子はなかった。
「散歩のついでに」
「そうですか」
二人ともフェンスの外に立っていた。奥寺には入る権限があったが、用がなかった。福島にはかつて鍵を持っていた建物だったが、もう鍵はなかった。
しばらく黙っていた。春の風が吹いて、閉館の貼り紙の角がめくれた。
「お疲れさまでした」
奥寺はそう言った。言ってから、何に対しての言葉なのかわからなくなった。福島に対して言ったのか。自分に対して言ったのか。あるいは、この建物に対して言ったのか。
福島は少しだけ笑った。
「あんたに言われると変な感じだな」
「すみません」
「いや、いいんだよ。別に」
福島はポケットに手を入れたまま、建物を見ていた。奥寺も見ていた。同じ建物を見ているが、見えているものは違うはずだった。奥寺には耐震診断の数値と利用者数のグラフが見える。福島には三十年分の記憶が見えている。
「聞いてもらえた、とあのとき言いましたが」
福島が唐突に言った。
「あれは本当のことです。聞いてもらえたとは思っている。ただ」
福島は言葉を探しているようだった。
「聞いてもらえたことと、聞いてもらったから納得した、は違う。そこは間違えないでほしい」
奥寺は黙った。
「反対は反対のままだ。ただ、これ以上やりようがないことはわかった。わかったことと、受け入れたことも、たぶん違うんだろうな。そのへんは自分でもよくわからん」
奥寺は「そうですね」とも「すみません」とも言わなかった。何を言っても、行政の言葉か個人の言葉かの区別がつかなくなる気がした。
「また何かあったら、説明会には出ますよ」
福島はそう言って歩き出した。散歩の続きに戻るように。
奥寺は車に戻った。エンジンをかけ、ハンドルに手を置いたまま、しばらく動かなかった。
聞いてもらえたことと、納得したことは違う。福島はそう言った。奥寺の仕事は「聞くこと」を設計することだった。ワークショップの回数を決め、付箋を配り、模造紙に意見を貼り、記録を残し、報告書に「住民の声を踏まえて」と書く。その一連の設計が、福島に「聞いてもらえた」と言わせた。そしてその言葉が、会場を着地させた。
奥寺の仕事は成功したのだ。
合意は形成された。手続きは適正だった。記録は残っている。異議があれば申し立てることができる。すべてが正しい。正しいのに、何かが欠けている。欠けているものが何なのか、報告書には書けない。書けないものは行政にとって存在しない。存在しないものについて考えることは、職務の範囲を超えている。
奥寺はエンジンを切った。もう一度、フェンスの向こうの建物を見た。チェーンがかかった入口。剥がれたタイル。手入れされていない植え込み。
建物はまだそこにあった。
取り壊しは来年度の予算で行う予定だった。
**「適正配置」了**