2026.06.27

白い布

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2,751文字 約5分

居酒屋のテーブルの下に、黒いトランクケースがある。剛の足がときどきその角に当たって、中の金属が微かに鳴る。朝と同じ重さだった。

「で、どうだったの」

ビールで唇を湿らせながら健太が訊いた。向かいの裕也はお通しのポテトサラダを崩している。二人とも今日は別の用事で東京に来ていて、夜バスまでの時間が合ったから飲もうという話になった。剛のバスは二十三時五十分。あと三時間ある。

「まあ、ぼちぼち」

「ぼちぼちって。東京まで来てぼちぼちかよ」

「いや、場所がさ。今回ちょっと奥まっててさ。入口から遠いとやっぱきついんだよ」

健太がへえ、と頷く。裕也は何も言わない。

「でも隣のブースはまあまあ客入ってたから、場所だけの問題でもないんだろうけど」

剛は自分で言ってから、少し黙った。ビールを飲んだ。

「隣、どんな感じだったの」

「女の子がさ。アクセサリー。まあ、綺麗に作ってあるよ。デザインは嫌いじゃない。ただ技術的にはそこまでじゃないっていうか、ロストワックスで鋳造して磨いてるだけなのよ。俺がやってるような鍛金とか彫りとか、ああいう手間のかかることはやってないわけ」

「ふーん」

「でも什器がすごいの。アイアンの台にベルベット敷いて、ドライフラワー置いて、小さいスポットライトまで持ち込んでて。正直あれ什器だけで何万かかってんだろうって」

「金かけてんだな」

「で、ずっとタブレットで動画流してんの。女の子が朝カーテン開けて、コーヒー淹れて、その横にリングがあります、みたいなやつ。それを延々ループ。足止めて見てるお客さんがそのまま買ってくわけ」

「うまいな」

「俺は、まあ白い布敷いて並べてたんだけどさ」

健太がジョッキを置いた。

「もうちょいこう、見せ方とかあるんじゃないの」

「いや、うちは作品で見てほしいから。余計なもん置くと作品が見えなくなるだろ。素材と技術を見てくれる人に届けばいいわけで」

「でも届かなかったんでしょ」

剛は健太を見た。健太に悪気はない。ないからたちが悪い。

……客層の問題だよ。デザフェスってさ、ああいう雰囲気モノが好きな人が多いのよ。ちゃんとした目で見れる人はもっと別のとこにいる」

「そういうもんか」

「そういうもん」

裕也がビールを一口飲んで、枝豆に手を伸ばした。

「でもさ、地元のクラフト市だと売れるんだろ」

「売れるよ。固定のお客さんもいるし。地元の人はちゃんと見てくれるから」

「じゃあ別によくない?」

「よくはないだろ。東京に出す意味ってあるじゃん。知ってもらうっていうか」

剛はそこで少し詰まって、ビールを干した。二杯目を頼んだ。

「まあ、あとさ。はっきり言うけど」

声が少し落ちた。

「隣の子、可愛いんだよ。顔が。で、お客さん、けっこう男の人も多くて。いや、結局さ、ものを見てんじゃなくて人を見てんだよな。ああいうのは」

健太が少し笑った。裕也は枝豆の殻を皿に戻している。

「じゃあさ、SNSもっとやれば。なんかこう、バズるやつ」

「やってるよ。インスタ」

「でもフォロワーどのくらい」

……五千ちょい」

「その隣の子は」

「知らねえけど、たぶん何万とかいるんじゃない? ああいうのはフォロワー多そうだし」

「じゃあバズらせないとさ。なんかこう、あ、失敗したやつあるだろ。気に入らなくて使えないやつ。あれを床にガーンって投げつけて、それを早回しで撮んの。職人のリアル、みたいな」

「投げつける?」

「そう。バーンって。銀とか飛び散ったら映えない? それかハンマーでバコーンと潰すとか」

剛は笑わなかった。

「いや、それはないわ」

「なんで。かっこいいじゃん」

「失敗でも銀は銀だぞ。溶かしてまた使うんだよ。素材を無駄にして何がかっこいいんだよ」

「あー、そういうもんか」

「そういうもん。ていうかそういうのでバズったって来る客は作品見てねえだろ。面白い動画見てるだけで」

健太が「厳しいな」と笑った。裕也が少しだけ剛を見た。

裕也がスマホをいじっていた。それからふと顔を上げて言った。

「あの人のインスタ、見たことあるよ」

剛が振り向いた。

「あの人って、隣の?」

裕也がスマホの画面をこちらに向けた。朝の光が差し込むテーブルの上に、細いリングが二本並んでいる写真。白い皿にスコーンが乗っていて、奥にコーヒーカップが見切れている。

「ああ、これこの子だわ。お前フォローしてんの」

「うん。前から見てた。たぶん二年くらい前、フォロワー百人もなかった頃からやってて、ずっと同じことやってたよ。料理作ってその横にアクセサリー並べて、光の当て方とか背景とか、毎回ちょっとずつ変えて」

少し間が空いた。焼き鳥を焼く音と換気扇の唸りが急に近くなった。

「お前なんでこういうの見てんの」

「たまたまタグで見つけて。いいなと思って」

「へえ」

剛は二杯目のビールを受け取った。一口飲んで、それからもう一口飲んだ。

「まあ、可愛いもんな」

裕也は何も言わなかった。手の中の枝豆を割って、豆を口に入れた。

健太が「じゃあさ、溶かすとこ撮ればいいじゃん。ドロドロの銀がバーナーで溶けるやつ、絶対映えるって」と言って、BGMは何がいいかという話を始めた。剛は笑いながら付き合った。裕也はときどき相槌を打ちながら、ポテトサラダの残りを片付けていた。

二十三時半に店を出た。歌舞伎町の端を抜けて新宿駅のほうに歩く。健太が「次いつ東京来んの」と訊いて、剛は「いや、もういいかな」と言った。それから「地元のイベントで十分だわ」と付け足した。

裕也が少し遅れて歩いていた。

バスタ新宿の待合スペースで、剛はスマホを開いた。インスタグラムを開いた。通知は三件。全部、地元の知り合いからのいいねだった。隣のブースの子の名前は覚えていなかった。検索する気にもならなかった。

出発五分前のアナウンスが流れて、トランクケースを引きずりながら改札を通った。バスの荷物棚に乗せると、隣の客が少し迷惑そうな顔をした。足元に降ろした。

シートを倒して目を閉じる。明日の昼には地元に着く。来週は駅前の小さなクラフト市がある。あそこなら白い布でいい。見てくれる人がいる。

バスが動き出した。窓の外を新宿の光が流れていく。剛は目を開けなかった。

足元で、売れなかったリングとバングルが、バスの振動に合わせて小さく鳴っていた。

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