CRAFT PEOPLE vol.38|連載「手しごとの現場から」
この子の顔を、一生残す仕事。ペットポートレートタトゥーの彫師・菅沼耕介
取材・文=林田あゆみ 撮影=大江祐介
スタジオに入ると、壁一面にスケッチが貼ってある。どれも顔のアップだ。正面のもの、少し横を向いたもの、目を閉じているもの。丁寧な鉛筆の線で描かれた顔が、二十も三十も並んでいる。
「全部、うちに来てくれた飼い主さんから預かった写真を元にしたものです。彫る前に必ずスケッチを起こします」
菅沼耕介さん、三十四歳。ペットの肖像に特化したタトゥーアーティストとして、完全予約制のスタジオを都内で構えている。月の予約枠は十二件。半年先まで埋まっている。
「ペットタトゥー自体はそんなに珍しくないんですけど、ぼくはポートレート、つまり顔だけに絞ってます。全身を入れたいという相談もありますけど、基本的にはお断りしていて。顔だけ。表情だけ」
――なぜ顔だけなのか。
「顔が一番、飼い主さんの記憶とずれるからです。身体の特徴って、写真を見ればだいたい思い出せるんですよ。でも顔は違う。飼い主さんの中にいるうちの子の顔って、写真の顔と微妙にずれてるんです。そこを拾えるかどうかが、この仕事のほとんど全部だと思ってます」
菅沼さんは彫る前に、必ず飼い主と一時間以上の聞き取りをする。写真を何枚も見せてもらいながら、飼い主がどんなふうにうちの子を見ているかを探っていく。
「写真を見せてもらうと、飼い主さんって必ず写真じゃない話をし始めるんです。ブラッシングしてるときの顔が好きとか、ごはんの好き嫌いが多くて困るとか、散歩のときだけ別の性格になるとか。その話のほうが大事なんですよ。飼い主さんの中にいるうちの子は、写真じゃなくて、そういう日常の中にいるので」
取材の日も、ちょうど聞き取りの予約が入っていた。了承を得て、その様子を見せてもらうことにした。
来客は三十代前半の女性で、大きな封筒に写真を何枚も持ってきていた。一枚一枚をテーブルに並べながら、「これ、うちに来たばかりの頃で」「これはブラッシング中にじっとしてるとこ」と説明していく。
菅沼さんが写真を見ながら訊く。「爪はどうしてますか」
「短くするのをすごく嫌がるんです。でもそのままだと引っ掻いちゃうので、定期的に切ってます。暴れるから大変で。切り終わるとしばらくすねて、こっち見てくれなくなる」
菅沼さんが笑う。「それ、多いですよ。爪切りのあとにすねるのは、あるあるです」
女性も笑った。「うちの子は特にひどくて。ご機嫌取りにおやつあげても、ぷいって」
テーブルの上に並んだ写真の中から、菅沼さんが一枚を選ぶ。
「この写真、散歩中ですよね。いい顔してますね」
「そうなんです。散歩のときが一番いい顔するんです。外に出ると全然違う子になるっていうか。家の中だと甘えん坊で、ずっとくっついてくるんですけど、散歩になると先にどんどん行っちゃって。リードぎりぎりまで行こうとするから、こっちが引っ張られて」
菅沼さんは聞きながら、ノートに何かを走り書きしている。写真の輪郭をなぞっているのかと思ったが、のぞくと文字だった。「散歩で別人」「甘えん坊だが外では活発」「先に行く」。飼い主の言葉を、そのまま書き留めている。
「ぼくが拾ってるのは、顔のパーツの情報じゃないんです。飼い主さんがうちの子をどう見ているか。どの瞬間のどの表情が、この人にとってのうちの子なのか。それが分からないと、どんなに写実的に彫っても『うちの子じゃない』って言われます。実際、他のところで彫ってもらったけど似てなくて、やり直したいっていう相談もよく来ます」
写真通りに彫ったのに似ていない。不思議な話だが、菅沼さんにとっては日常の問題だという。
「写真は一瞬を切り取ったもので、飼い主さんの記憶は時間の中にあるんですよ。寝起きの顔、ごはんを食べた後の顔、叱られた後のしょんぼりした顔。そういう顔が全部重なって、飼い主さんの中のうちの子ができてる。だからどの一瞬を抜き出しても、完全には一致しないんです」
聞き取りは一時間半に及んだ。女性が帰った後、菅沼さんはノートを見返しながら、スケッチの準備に入っていた。
菅沼さんの仕事場には、過去の作品のポートフォリオが何冊も並んでいる。許可をもらって何枚かを見せてもらった。肌の上に彫られた顔は、どれも写実的で、生々しい存在感がある。
「これは去年の作品で、かなり難しかったやつです」
菅沼さんが開いたページには、施術前の写真と施術後の写真が並んでいた。
「この方は男性の飼い主さんで、写真をたくさん持ってきてくれたんですけど、施術の途中で『やっぱり違う、この顔じゃない』と。写真通りに進めてたのに、です。で、よくよく聞いたら、写真は去勢する前のもので、今はだいぶ顔つきが変わっているって」
去勢すると顔つきが変わるんですか。
「変わりますね。丸くなるというか、どこか力が抜けるというか。シャープさがなくなる。その方は『前の顔が好きだった』とおっしゃっていて。ひと目惚れだったから、と。最初に見たときの顔が忘れられないって」
――ひと目惚れですか。
「ペットショップで見た瞬間に決めたそうです。目が合って、もうこの子だと思ったって。その頃の顔と今の顔が違うから、写真の顔を彫ってほしい。でも今の顔も知ってるから、写真通りでは満足できない。あいだを取ってくれ、というのがオーダーでした」
前の顔と今の顔の、あいだ。実在しない顔を彫る。
「実在はしてますよ。飼い主さんの中には」
菅沼さんは笑って、そう言った。
別のエピソードも聞かせてもらった。ある女性の依頼者の話だ。
「この方はすごく思い入れの強い方で、うちの子を飼い始めたきっかけも一目惚れだと。一目惚れの話って多いんですよ、この仕事してると。みなさん、最初の出会いの瞬間をすごく大事にしてる」
その女性は、飼い始めた頃の写真から現在の写真まで、時系列で並べて持ってきた。
「面白かったのが、興奮しやすい子らしくて。落ち着かないんですって。興奮するとこっちまで体力持っていかれるから、サプリをごはんに混ぜてるって言ってました。穏やかになるやつ。『この子もずっと興奮してたら疲れちゃうから』って」
サプリを混ぜている。
「そういう飼い主さん、わりといますよ。ちゃんとケアしてるんだなって思います。興奮しっぱなしは本人もしんどいでしょうし。この方も、サプリを始めてから穏やかになったって喜んでました。顔つきも少し変わったそうで。柔らかくなった、って」
菅沼さんが「ケア」という言葉を使った。飼い主たちの行為を語るとき、菅沼さんの声のトーンは変わらない。
「飼い主さんの話を聞いていると、みなさん本当にうちの子のことを考えてるんですよ。食事の管理、体調の管理、メンタルのケア。ぼくはその愛情を、一枚の絵として肌に残す仕事をしている。責任は感じますけど、だからこそやりがいがあるんです」
菅沼さんがポートフォリオを閉じた。
「うちの子の顔を一生残したいって思うくらい好きなんですよ、みなさん。その気持ちに応えたい。ぼくはそれだけです」
声明文
一般社団法人 人間の権利と尊厳を守る会
声明:ペット制度に関する商業的美化に対する抗議
2024年5月15日
一般社団法人 人間の権利と尊厳を守る会は、先日公開されたウェブ媒体「CRAFT PEOPLE」における記事「この子の顔を、一生残す仕事。ペットポートレートタトゥーの彫師・菅沼耕介」に対し、強い懸念を表明する。
同記事は、いわゆるペット制度のもとで飼養されている人間の肖像をタトゥーとして施術する行為を、「職人の技術」として肯定的に紹介している。当法人はこの記事が、人間を愛玩の対象として所有する制度を美化し、正当化する効果をもつと考える。
ペット制度は、2019年の生活支援パートナーシップ法の成立により法的に整備されたものであるが、その実態は人間の尊厳に対する重大な侵害である。制度のもとで「ペット」とされた人間は、以下の権利を制限または剥奪されている。
- 経済的自立の権利。ペット契約期間中、被飼養者の銀行口座は凍結され、すべての経済活動は飼い主の管理下に置かれる。
- 身体の不可侵性。去勢を含む身体的処置が「同居上の安全管理」の名目で飼い主の判断により実施されている。被飼養者の同意は制度上、要件とされていない。
- 移動の自由。外出には飼い主の許可が必要であり、単独での外出は原則として認められていない。
- 契約の対等性。月額制の契約は飼い主の側からのみ解除が可能であり、被飼養者からの契約解除には飼い主の同意を要する。契約終了後の社会復帰を支援する制度は存在しない。
記事中に登場するエピソードの数々は、上記の権利侵害を「ケア」「愛情」の語彙で覆い隠すものである。ブラッシング、散歩、食事管理といった行為は、対等な関係のもとでは日常の一部であるが、ペット制度のもとでは飼い主による一方的な支配の実態に過ぎない。
また、記事中で言及されている「サプリ」が、厚生労働省の監視対象となっている鎮静系薬剤である可能性について、当法人は複数の証言を得ている。これは愛玩目的での人間への薬物投与にあたり、刑法上の問題を含む。
当法人は以下を要求する。
- 当該記事の即時削除。
- ペット制度に関する報道において、被飼養者の人権に配慮したガイドラインの策定。
- ペット制度そのものの廃止に向けた立法措置の検討。
「愛情がある」ことは、人間の尊厳を毀損する制度を正当化する理由にはならない。
以上
SNSの声
うちは月額制だよ。パパが毎月決まった額くれる。口座はいまは使えなくなってるけど、パパが全部やってくれるから困ったことない。ごはんも服もぜんぶパパが出してくれるし。契約は半年ごとに見直しがあるけど、パパが更新してくれてるからだいじょうぶ。もう三年になるかな。
最初はちょっとこわかったけど、パパがすごくやさしくて。ほんとにこの人でよかったって思ってる。
明日は爪切り。やだなー。でもパパが終わったらおやつくれるって。がんばる。
おやすみ。
CRAFT PEOPLE vol.38|連載「手しごとの現場から」【後編】
「愛情を彫る」ということ。菅沼耕介の仕事のゆくえ
取材・文=林田あゆみ 撮影=大江祐介
前編の公開後、記事に対してさまざまな反応があった。技術への賞賛の声が多かった一方で、ペット制度そのものへの批判的な意見も寄せられた。菅沼さんに、あらためて話を聞いた。
「反応は見ました。ぼくのところにも直接メッセージが来たりして。ただ、ぼくがやっていることは変わらないですよ。飼い主さんの中にいるうちの子の顔を、正確に彫る。それだけなので」
――制度そのものについてどう思うか。
「よく訊かれるんですけど、ぼくは彫師なので。制度のことはぼくが判断する話じゃないです。ただ、奴隷とは違いますよ。奴隷制度って愛情なかったじゃないですか。ぼくのところに来る飼い主さんは、みなさん愛情を持ってますよ。うちの子の顔を一生残したいって思うくらい。それは紛れもない愛情でしょう」
――恋人やパートナーの肖像を彫る仕事との違いは何か。
菅沼さんは少し考えてから答えた。
「技術的にはほとんど同じです。人の顔を彫るっていう点では変わらない。ただ、飼い主さんのほうが、なんていうか、まなざしが強いですね。恋人の顔を彫りたいっていう人は、対等な関係の中でお互いを見てるから、見方がフラットなんです。飼い主さんの場合は、もっと、なんだろう。全部引き受けてるっていう感覚がある。この子の生活のすべてを自分が見ている、っていう。その重さが、まなざしに出るんですよ。だからぼくも、彫るときの集中が変わります」
全部引き受けている。その言葉が、このインタビューのあいだに何度か形を変えて出てきた。食事の管理、体調の管理、メンタルのケア。菅沼さんの語彙はいつも同じ場所に着地する。
「みんな愛情をもってうちに来るんですよ。ぼくはその愛情を疑ったことがない。だって目の前で見てるんですから。写真を選ぶときの手つき、この子のことを話すときの声。嘘じゃないですよ、あれは。ぼくにはわかります」
菅沼さんには、印象に残っている依頼があるという。
「最近の話なんですけど。男性の飼い主さんが来て、うちの子を連れてきたんです。連れてくる方はたまにいます。写真だけより、実物を見たほうが彫りやすいので、ぼくとしてはありがたい」
その飼い主が持ってきた依頼は、少し変わったものだった。
「ふつうは顔を彫るんですけど、その方は身体の一部を彫ってほしいと。具体的に言うと、打撲の痕です」
――打撲の痕というと。
「ぼくも最初は聞き返しました。痕ですかって。そしたらその方が、すごく丁寧に説明してくれて。躾のときにどうしても手が出ることがある。でもこのあいだ、力の入れ方がぴったり決まった瞬間があって。痕の形がきれいだったんだそうです。色の入り方、輪郭の出方。自分でもこんなにきれいにできたのは初めてだって。それで、この痕が消える前に残しておきたいと」
菅沼さんは、実際にその痕を見せてもらったという。
「見せてもらいました。腕のところに、紫と黄色のあいだくらいの色をした痕があって。たしかにきれいだったんですよ。輪郭がはっきりしていて、色の滲みも自然で。痕っていうのは消えるものなので、消える前に残したいっていう気持ちは、ぼくにはわかります」
そのとき、うちの子は。
「隣に座ってましたよ。おとなしい子でした。飼い主さんがぼくに説明してるあいだ、ずっと静かにしていて。目が合ったら、少し笑ったんですよ。ぼくに。あの感じ、うまく言えないんですけど。怖がってる感じではなかったです」
菅沼さんは依頼を引き受けた。
「素晴らしいと思いましたよ。うちの子の身体に自分が残した痕を、さらに自分の身体に残すわけでしょう。二重に刻むんですよ。それってすごいことだと思います。形ってほんとうにいろいろで、ぼくが想像もしないようなものが来る。でもぼくの仕事は、それを正確に彫ることです。判断することじゃない」
――最後に。この仕事を続ける理由は何ですか。
菅沼さんは道具を布で拭きながら、少し間を置いて答えた。
「こういう人に出会えるからですよ。ぼくの想像を超えた愛情の形を持ってくる人に。彫師はやめられないです」
(了)