奈津が足の小指をテーブルの脚にぶつけたとき、相馬は台所で麦茶をグラスに注いでいた。短い悲鳴のあと、うずくまる背中に「大丈夫?」と声をかけると、奈津は目に薄く涙を浮かべたまま笑って「大丈夫」と言った。
そのときの大丈夫は、大丈夫だった。
痛みには輪郭があった。足の小指がテーブルの角に当たった、それだけのことで、時間が経てば引いていく種類の痛みだった。原因があり、経過があり、終わりがある。大丈夫かと聞けば、大丈夫だと返ってくる。言葉は言葉のとおりに届き、届いた場所にとどまった。
あの頃の大丈夫は、そういうものだった。
同棲を始めて二年目の冬だった。ふたりとも三十手前で、結婚の話が出ることもあったが、出るだけで片付くこともなく、季節だけが律儀に入れ替わった。相馬は商社の営業で、朝早く出て夜遅く帰る日が多かった。奈津はウェブ制作会社に勤めていて、週の半分はリモートだった。
リビングで向かい合って過ごす時間はそれほど長くなかったが、それが不満だったわけではない。朝、奈津が淹れたコーヒーがテーブルに置いてあること。夜、相馬が帰ると廊下の照明がついていること。生活は言葉よりも先に、互いの存在を報告し合っていた。
最初に何かが変わったのがいつだったか、相馬には正確に思い出せない。日付としては二月の半ばだったはずだが、変化は日付を持たない種類のものだった。
朝のコーヒーがテーブルから消えた。
相馬が起きたとき、奈津はまだベッドの中にいた。それ自体は珍しくない。リモートの日は起床が遅くなることもあるし、前日の夜に仕事が押すこともあるだろう。相馬は自分でコーヒーを淹れ、マグカップを洗い、奈津の分をポットに残して家を出た。夜に帰ると奈津は起きていて、テレビをつけたリビングのソファに座っていた。ポットのコーヒーは減っていなかった。
「今日、食べた?」
「うん。お昼にパン食べた」
「夜は?」
「おなかすいてなくて」
「大丈夫?」
「大丈夫。ちょっと胃が重いだけ」
相馬はそのまま受け取った。胃が重い日はある。自分にだってある。奈津のために何か消化のいいものを、と考えて、結局ふたりでうどんを食べた。奈津は半分ほど食べて箸を置き、「おいしかった」と言った。
二月が終わり、三月に入った。
奈津の変化を、相馬はそれぞれ独立した出来事として受け取っていた。食事の量が減ったこと。風呂に入る時間が長くなったこと。夜ベッドに入っても眠れないらしく、相馬が深夜に目を覚ますと隣で奈津が目を開けていること。休日に出かけなくなったこと。テレビの音量が小さくなったこと。笑う頻度が減ったこと――いや、これは正確ではない。奈津は笑っていた。ただ笑い方が変わった。何がおかしくて笑っているのかわからない笑い方を、するようになった。
それらを線で結べば形になっただろう。だが相馬は点のまま受け取った。胃が重い日がある。眠れない夜がある。出かけたくない休日がある。どれもこれも、あることだった。
そしてそのたびに「大丈夫?」と聞いた。
奈津は「大丈夫」と答えた。
三月の終わりに、奈津がリモート勤務の日数を増やしたいと会社に相談している、という話を聞いた。
「体調悪いの?」
「ううん、そうじゃなくて、通勤がちょっとつらくて」
「電車?混んでるもんな」
「うん、それもあるし、なんか」
奈津はそこで言葉を切った。「なんか」の先にあったものを、相馬は待たなかった。「なんか」の先を聞けばよかった。でも相馬は「無理しなくていいよ」と言い、奈津は「うん」と答え、大丈夫かとは聞かなかったが、聞かなかったことで大丈夫だと決めたのと同じだった。
四月。桜が咲いた週末、相馬が花見に誘うと奈津は「行こうか」と言って支度を始めたが、玄関で靴を履いたまま動かなくなった。
「奈津?」
「……うん」
「行きたくなかったら行かなくていいよ」
「ううん、行く。行きたい」
奈津は立ち上がり、ドアを開け、外に出た。公園までの道を並んで歩いた。桜は見事に咲いていた。奈津は桜を見上げて「きれいだね」と言ったが、その声にはきれいだという感情が乗っていなかった。言葉だけが正しい場所に正しい順番で並んでいるだけだった。
帰り道に「大丈夫?」と聞いた。奈津は「大丈夫。楽しかった」と言った。
相馬はそのまま受け取った。あるいは、気づかないほうを選んだのかもしれない。
ゴールデンウィークに相馬の実家に帰省する話が出たとき、奈津は「大丈夫だよ、行こう」と言った。帰省先では相馬の母親と台所に立ち、相馬の父親とテレビを見て笑い、甥っ子と遊んで、完璧に「大丈夫な人」を演じていた。いや、演じていたかどうかも、相馬にはわからない。大丈夫に見えるということと、大丈夫であるということの区別は、そばにいるだけではつかない。
帰りの新幹線で奈津は眠り続けた。東京駅についても起きず、相馬が肩を叩くと、数秒間、ここがどこなのかわからないような顔をした。
「大丈夫?」
「うん。大丈夫。寝すぎた」
五月。奈津は会社を休む日が増えた。体調不良、と奈津は言った。相馬は「病院行ったほうがいいんじゃない?」と言い、奈津は「そうだね」と答えた。そうだねと言ったきり、行った気配はなかった。相馬はもう一度言うべきだったのかもしれない。でも一度言って、返事をもらって、それ以上は踏み込めなかった。踏み込まないことが、尊重だと思っていた。
奈津がベランダの植物に水をやらなくなったのは五月の半ばだった。枯れたプランターを相馬が捨てようとすると、奈津が「ごめん」と言った。そのごめんの声が、やけに遠くから聞こえた。
「気にしなくていいよ。枯れるときは枯れるから」
「うん」
「大丈夫?」
「大丈夫」
奈津は笑った。二月の頃よりも上手に笑えるようになっていた。笑い方が下手だった頃のほうが、まだ本当のことが漏れていた。上手になったということは、閉じたということだ。
気づけなかったのか。気づこうとしなかったのか。
六月九日、金曜日。相馬は取引先との会食を断って、早めに帰宅した。理由があったわけではない。ただ帰ろうと思った。たぶん、体のどこかでは何かを感じていたのだと思う。頭が追いつかなかっただけで。
玄関を開けたとき、照明がついていなかった。奈津は家にいるはずの時間だった。
リビングに明かりはなく、テレビも消えていた。台所はそのままで、朝相馬が出したマグカップが流しに残っていた。奈津の分のマグカップはなかった。使っていなかった。
寝室のドアは閉まっていた。ノックをした。返事はなかった。
ドアを開けたときに見たものを、相馬は言葉にすることができない。言葉にしようとすると、事実の手前で立ち止まってしまう。奈津はベッドの上にいた。意識はなかった。テーブルの上にあったものが、相馬に全部を教えた。
救急車を呼ぶあいだ、相馬は奈津の名前を呼び続けた。「奈津。奈津。大丈夫、大丈夫だから」と言いながら、自分が何を言っているのかわかっていた。大丈夫。大丈夫。その言葉はもう何も保証しなかった。何も確認しなかった。大丈夫かと聞いても大丈夫だと答えても、そこには何の情報もなかったのだということが、ようやくわかった。
奈津は助かった。
面会が許される時間帯に、相馬は病院に通った。目を開けた奈津と、何を話したかはうまく思い出せない。謝ったような気がする。何に対して謝ったのかは自分でもわからなかった。
帰り道に、歩きながら、過去の大丈夫をひとつずつ思い返した。
おなかすいてなくて。大丈夫。通勤がちょっとつらくて。行きたい。大丈夫。楽しかった。大丈夫だよ、行こう。寝すぎた。大丈夫。
ごめん。大丈夫。
どこまで遡ればいいのかわからなかった。全部が嘘だったとも思えなかった。本当に胃が重かっただけの日もあったかもしれない。本当に楽しかった瞬間もあったかもしれない。でもそれを確かめる方法がない。たぶん言った側にも、途中からはわからなくなっていたのだと思う。
七月。相馬は自分のマンションに戻り、ひとりで暮らしている。奈津は実家にいる。連絡は取っていない。取れないのではなく、取っていない。何を言えばいいのかわからないからだ。大丈夫?とはもう聞けない。聞いてしまえば奈津はまた「大丈夫」と答えるだろう。その言葉に再び閉じ込めることを、相馬にはもうできなかった。
職場の同僚に飲みに誘われた帰り道、駅のホームで電話をかけてきた母親に「元気にしてるの」と聞かれた。
「大丈夫だよ」
と相馬は言った。
電車がホームに入ってきた。その音に紛れて、もう一度だけ口のなかで繰り返した。
大丈夫。
それがどちらの意味だったか、相馬自身にもわからなかった。