俳優養成所の地下に、稽古場が二つある。北側のスタジオAは天井が高くて陽が差さない。律はその部屋がいちばん好きだった。声がよく沈んで、芝居の輪郭が出る。
二年目の春、ペア・ミラーの稽古で、律は透と組まされた。
向かい合って立つ。互いの胸の高さで掌をかざす。二人とも、二十一歳にしてすでに百八十センチを少し超えていたから、目の高さも、掌の高さもほとんど揃っていた。透の方が、指の節ひとつぶん上にいる。透は痩せていたが、肩のラインがすでに俳優のそれをしていて、律は自分の方が中身が薄く見えるのではないかと、その日はじめて気にした。
先生の合図で、片方が動き、もう片方がそれをそのまま映す。律はリーダー側からだった。
最初は型どおりに動いた。腕をゆっくり横に流す、肩を落とす、首を傾ける。透はぴたりと付いてくる。当たり前だった、ジャズダンスもやっていたと聞いていたから、からだの追従はうまい。
問題は、目だった。
透の目は、律の動きを追うのではなく、律のなにかを追っていた。律自身でもまだうまく言葉にならない、動きの起こる前の意図のようなもの。指を動かそうかどうか迷った半秒前に、もう透の指が動きはじめている。律が、いま、と思うより一拍早い。
それは技術ではなかった。技術ではないものが、まだ二十一歳の透のからだの中にあった。
中盤で先生がリーダーを入れ替える合図を送る。今度は透が動く番だ。律は身構えた。透ほど追従できる気がしなかった。
ところが、透は動かなかった。
両手をかざしたまま、しばらく、律のことだけを見ていた。律もつられて止まる。透が小さく笑った。
「律、息止めてる」
「止めてない」
「止めてた」
透がそう言って、初めてゆっくり腕を上げる。律はそれを映す。映しながら、息がほどけていく。透は、律が呼吸をはじめるのを待ってから、動きをはじめていた。
そういう人間だった、出会ったころの透は。
合図のあと、十五分のあいだに、二人のどちらがリーダーになっているか、稽古場の誰にもわからなくなった。先生がそれを見て、ふん、と一度だけ鼻を鳴らした。律は、ふん、と鼻を鳴らされたのが嬉しかった。透が振り向いて、なに、と訊くから、なんでもない、と答えた。
稽古が終わって、地下の階段を上がる途中、透が後ろから言った。
「律のミラー、おもしろいな。なんでだろ」
なんでだろ、と本当に思っている声だった。地のままで思っている声だった。
その透のことを、いま律はもう、誰の前にも連れていけない。本人にも会わせられない。