交渉は四日目に入っていた。
食む側の要求は変わらない。全量の即時返却。燃やす側の要求も変わらない。所有権の承認と段階的配分。タルスは初日の案を三度書き直し、比率を変え、段階の数を変え、引き渡し条件の文言を変えたが、ガラルもリェンカも首を縦に振らなかった。
膠着という言葉を、わたしは好まない。膠着は動かないことを意味するが、実際には動いていた。悪い方に。発言のたびに語気が上がり、沈黙の質が変わり、食む側と燃やす側の椅子の間の距離が毎日少しずつ広がっているように見えた。物理的に動かしているわけではないのに、二日目より三日目のほうが、三日目より四日目のほうが、ふたりの間に空気の壁が厚くなっている。
四日目の午前、タルスが提案した。
「保管施設を視察しませんか」
三者が同時にタルスを見た。
「灰晶の現物を全員で確認することに意味があると思います。サンプルではなく、総量を。どれだけの量がどのように保管されているかを見れば、配分の議論が具体的になる」
ガラルは即座にうなずいた。リェンカは少し間を置いてから同意した。わたしは何も言わなかった。同意を求められてもいなかった。通訳は会議の場にいる道具のようなもので、場が移動すれば一緒に移動する。
保管施設は会議棟から徒歩十五分の場所にあった。低い建物ばかりの仲介星において、保管施設だけが四階建てだった。外壁は灰色のコンクリートで、窓がなかった。設計思想が明瞭だった。中身を守る。外から見せない。通気は機械制御。温度と湿度は一定に保たれている。
入口で仲介星の技術官が出迎えた。白い防護服を着ていた。タルスが彼に何か小声で確認した。技術官が頷き、全員に簡易マスクを配った。粉塵対策だという。わたしも受け取った。マスクの下でわたしの鼻が灰晶の気配を嗅ぎ分けようとしていた。まだ何も感じなかった。扉が厚かった。
施設の内部は想像とは違っていた。
わたしは漠然と、灰晶が袋や容器に詰められて棚に並んでいる姿を想像していた。図書館のように整然と分類され、番号が振られ、管理表が壁に貼ってある。そういう場所だと思っていた。
違った。
扉を抜けると、そこは体育館のように広い空間だった。天井が高く、蛍光灯が等間隔に並んでいた。そして床の上に、灰晶が積まれていた。容器には入っていなかった。灰白色の結晶体が山になっていた。ひとつの山ではなく、いくつもの山が並んでいた。高さは三メートルほど。麓から頂上まで、灰晶の粒が隙間なく積み重なっている。表面は微かに光を反射していて、蛍光灯の下でぼんやりと光って見えた。
部屋全体が灰白色だった。壁も床も天井も、長年にわたる粉塵で薄く灰晶の色に染まっていた。空気が違った。会議室の空気とは明確に違う。乾いていて、密度がある。呼吸するとわずかに喉に引っかかるものがあった。
わたしのマスクの下で、気道が微かに反応した。
四者は並んで灰晶の山の前に立った。
ガラルが足を止めたのは、最初の山の前だった。彼は動かなかった。数秒のあいだ、完全に停止していた。それから右手を持ち上げた。山に触ろうとする動作だった。技術官が一歩前に出て、手袋の着用をお願いしますと言った。ガラルの手が止まった。
わたしは彼の横顔を見ていた。飢えた者が食糧の山を前にしている。食べられるのに食べられない。ここにあるのに持ち帰れない。会議室で数字を並べていた間、飢餓は抽象だった。ここでは違う。食糧が三メートルの高さに積まれていて、触ることすら手袋越しにしか許されない。
ガラルの肌が赤みを帯びた。二日目の会合で見たのと同じ反応だった。だが今日はもっと深い色だった。顎の筋肉が動いていた。何かを噛みしめている。言葉ではなく、叫びを。
リェンカの反応は対照的だった。彼女は灰晶の山を見回し、それからゆっくりと歩き始めた。山と山のあいだを通り、奥へ進んだ。視線は灰晶の表面をなぞっている。査察するように見ていた。自国の資源の状態を確認しているのだった。ここに積まれているものは、元来は自分たちの星の地中にあったものだ。停戦条約によって引き渡され、仲介星の施設に保管されている。リェンカにとってこの視察は、他人の倉庫に預けた荷物を確認する作業に近かった。
彼女が戻ってきたとき、表情は硬かった。
「管理状態について質問がある」
技術官がうなずいた。
「粉塵の量が多い。密封保管ではないのか」
「当初は密封容器での保管を予定していましたが、総量が想定を超えたため、一部はこのように開放保管となっています」
「想定を超えた。つまり、この施設はもともとこれだけの量を扱う設計ではなかったということだ」
「はい。増設を重ねて現在の容量になっています」
リェンカはタルスを見た。
「わたしたちの資源が、設計不十分な施設で野積みにされている。これが仲介の実態か」
タルスは答えに窮した。彼はこの施設の設計に関わっていない。三日前に配分の仕組みを設計しろと命じられた官僚であって、施設の管理者ではない。だが、リェンカにとってはどちらも仲介星だった。仲介星が預かり、仲介星が管理し、仲介星が出し渋っている。そのすべてが仲介星の責任だった。
「改善を申し入れます」とタルスは云った。
「改善ではなく返還だ」とリェンカは云った。「改善する暇があるなら返してくれればいい」
ガラルが振り向いた。
「返すなら全量をわたしたちに」
「あなたに返すとは言っていない」
ふたりの目が合った。灰晶の山を挟んで。
タルスが場を収めようとした。
「今日の視察は現状確認のためです。配分の議論は会議室に戻ってから」
「現状は確認した」とガラルが云った。「これだけの食糧がここにある。わたしたちの民が飢えている間、ここに積まれている。これが現状です。設計者、あなたはこれを公平に分ける方法を設計すると言った。では訊きます。公平とは何ですか」
タルスは灰晶の山を見上げた。三メートルの灰白色の壁。蛍光灯の光を受けてぼんやり光っている。積み上げられた結晶の重みで、底のほうの粒は潰れて粉になっている。粉塵はそこから出ている。
「公平とは」とタルスは繰り返した。
答えは出なかった。
わたしはそのやりとりを訳しながら、タルスの背中を見ていた。彼が灰晶の山を見上げる姿は、数字を眺めていた会議室の姿とはまるで違っていた。設計は紙の上では可能だった。比率を変え、段階を変え、条件を書き換えれば、いつか正解に辿り着けると思えた。だがここでは違う。灰晶は紙の上の数字ではなく、三メートルの高さで目の前に積まれている物体だった。これを二つに分ける。どこで切っても、片方が足りなくなる。
公平とは何か。わたしにも答えはなかった。だが、わたしは答えを出す立場にない。通訳は答えを持たない。持たないことが仕事だ。
視察は一時間ほどで終わった。
帰路、わたしは四者の少し後ろを歩いていた。ガラルとリェンカは互いに口をきかなかった。タルスは技術官と何か書類の話をしていた。仲介星の空はいつもと同じ色をしていた。褪せた紫。
保管施設の入口を出たとき、わたしの足が少しもつれた。
段差はなかった。地面は平坦だった。靴底が滑ったわけでもない。ただ、右足を前に出そうとしたとき、一瞬だけ足が思った場所に着かなかった。ほんのわずかなずれ。他人から見ればよろめいたとも言えないほどの動きだった。
わたしは立ち直った。歩き続けた。
マスクを外した。空気が変わった。保管施設の乾いた密度のある空気から、仲介星の薄い大気に切り替わった。喉の奥に残る引っかかりが、少しずつ消えていった。
振り返ると、タルスがわたしを見ていた。
彼は何も言わなかった。技術官との会話を続けていた。だが彼の目がわたしの足元を見ていた。わたしのよろめきを、見ていた。
わたしも何も言わなかった。
まだ何もない。疲労だ。移動の疲れと、保管施設の空気の変化に体が反応しただけだ。灰晶の毒性は累積的なものであり、一時間の曝露で症状が出ることはない。わたしの知識ではそうなっている。
だが知識と体は別のものだった。
会議棟に戻り、午後の会合が始まった。サンプルの灰晶は机の上に置かれたままだった。ガラルが頼んだ通りに。わたしはそれを見て、今朝とは少し違う感覚を覚えた。サンプルを見ているのではなく、あの三メートルの山の欠片を見ている。密封容器の向こうに、あの広い空間と、灰白色の山と、粉塵に染まった壁が透けて見えるような気がした。
午後の議論は進まなかった。だが空気は変わっていた。全員が同じものを見たあとの空気だった。抽象が具体になり、数字が物量になった。ガラルの声に力が増し、リェンカの声に硬さが増し、タルスの声には迷いが滲んだ。
わたしは訳し続けた。言葉を運び続けた。足元の不確かさは消えていた。消えたのか、気づかなくなったのか、区別がつかなかった。