翌朝、タルスは夜通し作業していたらしかった。
会議室に入ると、机の上に図表が広げられていた。灰晶の総量、食む側の年間消費量、燃やす側の年間消費量、保管施設の残量推移、備蓄のシミュレーション。数字は手書きで、何度も書き直した跡があった。消しゴムのかすが机の端に溜まっている。
タルスはわたしを見て、おはようございますとも言わずに図表を指差した。
「通訳さん。この数字に目を通しておいてもらえますか。双方に説明する際、正確に訳していただきたいので」
わたしは図表を受け取った。仲介星の文字は読める。この星の行政文書は簡潔で飾りがなく、読みやすい。数字に嘘はなさそうだった。灰晶の総量は記載通りだとして、問題は配分の比率だった。タルスの案はこうなっていた。
灰晶の総量を百として、食む側に四十五、燃やす側に四十五、仲介星の保管維持費として十を天引きする。配分は三段階に分け、第一回を即時、第二回を三十日後、第三回を六十日後に実行する。各段階で三分の一ずつ引き渡す。
合理的な案だった。双方に等量を渡し、仲介星も保管コストを回収する。段階的に引き渡すことで急激な変動を避ける。設計者として初日に出す案としては悪くない。
だが合理的であることと受け入れられることは別だった。
ガラルは定刻に来た。昨日と同じ服を着ていた。着替えがないのか、あるいは着替える余裕がなかったのか。彼の目の下にうっすらと影があった。眠れなかったのだろう。飢えている民を代表して遠い星に来て、会議室に座って数字を見せられる。その夜に安眠できる者はいない。
リェンカは今日も五分遅れてきた。遅刻ではなく、五分の遅れが意味を持つ文化なのだと、わたしは知っている。燃やす者たちの社交では、先に着いた側が場を設える役を担う。後から来る側はその場に迎えられる立場であり、上位者がそうする。会議に五分遅れることで、リェンカは自分が招かれた側であって場を設える側ではないと表明している。
もっとも、そのことを食む者たちが知っているとは限らない。ガラルはリェンカが席につくのを黙って見ていた。不快を隠す努力もしていなかった。
タルスが図表を配った。わたしはそれを食む者たちの言語と燃やす者たちの言語に口頭で訳しながら、双方の表情を見ていた。
ガラルは数字を聞きながら指を折っていた。暗算しているのだった。彼の指が止まったのは、配分比率の箇所だった。
「四十五」とガラルは云った。「総量の四十五パーセント」
「はい」とタルスが答えた。
「足りない」
タルスは予想していたのだろう。表情を変えなかった。
「食む者全体の年間消費量は、保管総量の六十パーセントに相当します」とガラルは続けた。「四十五では一年ももたない。しかも三段階に分けると言った。即時に受け取れるのは全体の十五パーセントだ。備蓄がゼロになるまであと四か月。十五パーセントで何日延びるか計算してほしい」
「計算はしました」とタルスは云った。「四十五パーセントで約九か月。その間に新たな供給源を」
「新たな供給源はありません」
ガラルの声は静かだったが、その静かさは抑制の結果だった。怒鳴らないと決めて座っている者の声だ。
「わたしたちの星の鉱床は二世代前に枯渇しました。代替食糧の研究は進んでいますが、実用化には最低十年かかる。九か月では足りない。六十パーセントでも足りない。百パーセントでも足りない。ただ、百パーセント渡していただければ、代替食糧が完成するまでの時間を稼げる可能性がある。四十五では、稼げない」
タルスのペンが止まった。ガラルが求めているのは比率の交渉ではなかった。全量だった。
リェンカが口を開いた。
「全量を食む側に渡せと言っているのか」
ガラルはリェンカを見た。
「必要量を渡せと言っている」
「必要量が全量に等しいと言っているのだ。では訊くが、わたしたちの必要量は計算に入っているのか」
「あなた方には産出元がある」
「産出元があるから無限に掘れるとでも思っているのか。鉱床は有限だ。掘削には時間がかかる。保管施設に預けた分は、わたしたちが将来使う分を前もって積み立てたものだ。それを全量よこせと言うなら、あなた方はわたしたちの未来を食べると言っているのと同じだ」
ガラルの肌が微かに赤みを増した。食む者たちの感情反応は肌に出る。
「飢えている者の前でその言い方をしますか」
リェンカの顎が引かれた。
「わたしも飢えるんだ。供給が止まれば」
「あなた方の飢えは十年先の話だ。わたしたちの飢えは今月の話だ」
タルスが両手を上げた。制止の仕草だった。
「双方のお気持ちはわかります」
ガラルがタルスを見た。その目に、お気持ち、という語への明確な侮蔑があった。飢餓を気持ちと呼ばれたのだ。タルスは自分の言い間違いに気づいたようだったが、訂正せずに続けた。
「配分案は叩き台です。比率は調整できます。ただ、どのような比率にするにせよ、双方が合意できる基準が必要です。わたしが提案したいのは、まず基準を決めて、それから数字を入れるという順序です」
「基準はある」とガラルが言った。「必要量だ。生存に必要な量が基準になるべきだ」
「基準はある」とリェンカが言った。「所有権だ。元来の産出者の権利が基準になるべきだ」
同じ構文。同じ確信。同じ「基準はある」。だがその中身が正反対だった。
タルスは二つの発言を書き留めた。わたしの訳を待ってからではなく、両者の言語を少しは理解しているのか、あるいは表情から内容を読んだのか、すでに書いていた。
「必要量と所有権。両方を同時に満たす配分比率は存在しますか」
沈黙が答えだった。
会合はその後二時間続いた。タルスは食む側の年間消費量と燃やす側の年間消費量を横に並べ、灰晶の総量を天秤のように二つの皿に分けるシミュレーションを何通りも作った。食む側に六十を渡せばエネルギー側は三十で足りなくなる。五十対五十では食む側の備蓄が八か月で底をつく。七十対二十ならエネルギー側が即座に不足に陥る。どの比率にも穴があり、穴を塞ごうとすると別の場所に穴が開いた。
ガラルが苛立ちを隠さなくなったのは、三番目のシミュレーションのあたりだった。
「数字の遊びをしに来たのではありません」
タルスは顔を上げた。
「遊びではありません。最適な配分を見つけるための」
「最適はひとつしかない。全量をわたしたちに渡すことです。わたしたちは死ぬんです。数字ではなく、個体が死ぬんです」
リェンカが椅子の背にもたれた。
「個体が死ぬことと、種族の権利を放棄することは別の問題だ」
「あなたの星では誰も死なないのですか」
「死ぬ。だが、死を理由に他者の財産を奪る論理を認めれば、次は別の理由でまた奪りに来る」
「次などありません。わたしたちが滅びれば、次はない」
通訳として、わたしはこの会話のすべてを正確に訳した。ガラルの言語で「滅びる」にあたる語は、物理的な消滅を意味する。比喩ではない。種族が生物学的にいなくなることを指す。リェンカの言語で「奪る」にあたる語は、暴力を伴う収奪を含意する。ガラルにそのつもりはないだろうが、リェンカの耳にはそう聞こえる。
言葉のずれを、わたしは訳さない。ずれたまま渡す。それが通訳の仕事だ。だが、ずれが重なっていくのを見ていると、このずれがどこかで裂けるのではないかという予感があった。布に入った亀裂が、洗うたびに広がるように。
午後の休憩時間に、タルスが鉱物のサンプルを持ち込んだ。
保管施設から取り寄せたのだろう。小さな透明の容器に、灰白色の結晶が数片入っていた。灰晶。名前の通りの色をしている。灰に近い白。角が丸く、表面はわずかに光沢がある。砂糖に似ていると言った者がいたと聞くが、砂糖を知らない種族にはその比喩は通じない。
タルスがサンプルを机の中央に置いた。午後の会合で実物を見ながら話したほうが議論が具体的になるという判断だったのだろう。
ガラルの反応は予想通りだった。彼は容器に顔を近づけた。目ではなく鼻を近づけている。食む者たちにとって灰晶は食糧だ。匂いを嗅ぐのは、食べ物を前にした動物の反射に近い。ガラルの顔に一瞬、飢えた者の表情が浮かんだ。それはすぐに消えた。代表としての顔が戻った。だが、その一瞬をリェンカは見ていた。
リェンカの反応は違った。彼女は容器を見て、それからタルスを見た。怒りではなかった。もっと深い感情だった。あれは自分たちの星で掘り出されたものだ。自分たちの土から出てきたものが、他人の手で容器に入れられ、他人のテーブルの上に標本のように置かれている。リェンカの言語に「標本」にあたる語はない。だが彼女の顔にそれがあった。
タルスはふたりの反応を見ていた。彼は設計者としてサンプルを持ち込んだのだが、いまふたりの反応を見て、自分が何をしたのかを理解し始めている顔をしていた。鉱物を実物として見せることで、抽象だった争いが生々しくなる。数字の上の四十五パーセントではなく、目の前の結晶片をめぐる四十五パーセントになる。
わたしは少し椅子を引いた。
灰晶はわたしの種族にとって毒だ。密封された容器に入っている限り影響はない。だが匂いは通る。匂いというほどのものではない。鉱物特有の乾いた気配。空気の質が変わったような感覚。わたしの体がそれを感知しているのか、あるいはただの思い込みなのか、この時点では判別がつかなかった。
念のために一歩退いた。
それだけのことだった。
午後の会合は具体的な進展がなかった。タルスが新しいシミュレーションを二つ作ったが、食む側は必要量を基準にしろと繰り返し、エネルギー側は所有権を基準にしろと繰り返した。サンプルは机の中央に置かれたままだった。会話が膠着するたびに、四者の視線がサンプルに落ちた。同じ結晶片を見て、別のことを考えている。
散会後、タルスがサンプルを片づけようとしたとき、ガラルが声をかけた。
「それ、明日も置いておいてもらえますか」
タルスは少し驚いた顔をした。
「机の上に、ですか」
「ええ。忘れないために」
何を忘れないのかは言わなかった。リェンカはすでに退室していた。
タルスはサンプルを机の中央に戻した。わたしはそれを見ていた。灰晶がこの会議室の住人になる。明日も、明後日も、交渉が終わるまでここにある。
密封容器ひとつ分の灰晶が、わたしの体に影響を与えることはないだろう。理屈ではそう判断した。毒性は量と時間に比例する。サンプル程度の量で、短時間の曝露で、どうということはないはずだ。
だが交渉がいつ終わるかは、誰にもわからなかった。