看板は出していない。
駅から七分ほど歩いた雑居ビルの三階、不動産屋と貸し会議室のあいだの、かつて行政書士事務所だった部屋を、瀬川郁は月四万二千円で借りている。ドアには何も書かれていない。呼び鈴もない。予約はメッセージアプリの、最適化アシストが適用されない旧バージョンで受け付けている。
室内にはデスクがひとつ、椅子が二脚、それだけだった。パソコンはない。デスクの上にはA5のノートとボールペンが一本。郁が「窓口」と呼んでいるものの全容は、それだけだった。
今日の最初の客は、十時に来た。二十代後半の男性で、トートバッグの持ち手を両手で握りしめていた。
「あの、ここで合ってますか」
「合ってます。座ってください」
男性は椅子に浅く腰かけた。膝の上にトートバッグを抱えたまま、視線を落として話し始めた。
「通販で、本棚を買ったんです。届いたものは注文通りだったんですけど、配送料が表示より三百円高くて。問い合わせたら、差額ぶん返金しますって言われて、すぐ振り込まれたんですけど」
「理由が知りたかった」
男性は顔を上げた。「はい」
「三百円が何の三百円なのか」
「そうです。サイズ加算なのか、エリア加算なのか、それとも計算が間違ってたのか。それだけ知りたかったんです。返金は別にいらなかった」
郁はノートを開いた。日付を書き、男性が語った内容を書き取った。通販サイトの名前。商品名。表示されていた配送料と、実際に請求された配送料。差額の三百円。問い合わせの経緯。返金された金額。そして、男性が本当に知りたかったこと。三百円の根拠。
書き終えたノートを男性に見せた。
「これがあなたの聞きたかったことです。私はこれに答えることはできません。でも、あなたが何を聞きたかったのかは、ここに記録しました」
男性はノートに書かれた文字をじっと見た。自分の疑問が、自分以外の人間の手で、紙の上に文字として存在しているのを確認するように。
「……ありがとうございます」
「答えじゃなくて、いいんですか」
「いいです。聞いてもらえただけで」
男性は封筒を置いて帰った。中には三千円が入っている。郁が設定した一律の料金だった。
「窓口」は違法ではない。
対応最適化法は、事業者に対して応対の自動分類と処理を義務づけているが、個人が他の個人の話を聞くことを禁じてはいない。郁がやっていることは法的には「相談業務」にも「カウンセリング」にも該当しない。資格も免許も必要ない。ただ聞いて、書くだけだ。答えは出さない。助言もしない。問いを受け取り、記録し、紙として手渡す。それだけの仕事だった。
ただ、この仕事が成立すること自体が、制度の歪みを証明していた。「なぜ」と聞ける場所が公式にはどこにも存在しないからこそ、看板も出していない雑居ビルの一室に、人が来る。
今日の二人目は、五十代の女性だった。
「母の入院費の明細に、覚えのない項目があって。『環境管理加算』って書いてあるんですけど、何のことかわからなくて。病院に聞いたら、ご心配をおかけして申し訳ありません、当該加算分は次回の請求から差し引きますって。いえ、お金の問題じゃなくて」
「何が加算されたのか、知りたい」
「そうなんです。母の部屋で何か特別なことをしたのか、それとも全員に一律でかかるものなのか。それによって、母の状態について私が知らないことがあるんじゃないかって」
郁はノートに書いた。入院先の名前は書かなかった。必要なのは疑問の形であって、個人情報ではない。「環境管理加算」の意味を知りたい。母の状態に関する情報が、自分に共有されていない可能性があるのか知りたい。それが疑問のすべてだった。
三人目は、三十代の男性だった。物静かな声で、こう言った。
「分類コードって、ご存知ですか」
郁は手を止めた。
「F-3a。不満の表明、高度、金銭関連。対応は該当金額の全額補償」
男性はポケットからスマートフォンを出し、画面を見せた。電力会社からのメール。問い合わせ対応完了のお知らせ。その下に小さく印字された分類コード。
「これ、調べたんです。ガイドラインの別表第二。全部読みました。三十項目ぜんぶ」
「読んだんですね」
「《回答》って語を含む項目がひとつもなかったです。ひとつも」
郁は頷いた。知っている。別表第二のことは、郁自身がこの仕事を始める前に、何度も読んだ文書だった。
六年前、郁はコールセンターで働いていた。
大手通信会社の顧客サポート部門。一日に五十件から七十件の電話を取った。料金の内訳を説明する。プラン変更の手順を案内する。通信障害の原因を伝える。解約の引き止めはしなかった。聞かれたことに答える。それが仕事だった。
きつくなかったとは言わない。怒鳴る客はいた。三十分以上話し続ける客もいた。「お前じゃ話にならない、上を出せ」と言われることは週に何度かあった。同僚が泣いているのを何度も見た。自分も泣いたことがある。対応後に手が震えて、五分間トイレから出られなかったことがある。
だから、対応最適化法の趣旨には賛成だった。人間がむき出しの怒りを受け止め続ける必要はない。機械が代われるなら、代わるべきだと思った。
法施行の翌年、郁の部署は段階的に縮小された。自動分類と自動処理が対応の大半をカバーするようになり、人間のオペレーターが必要な場面は激減した。「説明を要する高度な問い合わせ」だけは人間が対応する建前だったが、その「説明を要する」のカテゴリ自体が年々狭められ、最終的にはガイドラインから消えた。郁が最後に電話を取った日のことは、あまり覚えていない。特別なことは何もなかった。普通の問い合わせに普通に答えて、その日の業務が終わって、翌日から出勤する場所がなくなった。
窓口を始めたのは、それから一年ほど経ったころだった。
きっかけは、自分自身の体験だった。ガスの検針票の数字に疑問があって問い合わせたとき、選択肢のどれも自分の意図と合わなくて、最終的に返金だけが実行されて、会話が終わった。あの感覚、自分の言葉がどこにも届いていないという感覚を、かつて電話の向こう側で「聞く」仕事をしていた人間として、郁は正確に認識できた。
この感覚を抱えている人は他にもいるだろう、と思った。そして、その人たちの「なぜ」を受け取る場所が、公式にはどこにも存在しないことも知っていた。
今日の最後の客は、予約の時間を十五分過ぎてから来た。
四十代くらいの女性だった。ドアを開けて椅子に座り、バッグを床に置き、それからしばらく黙っていた。
郁は待った。ノートは開いていたが、ペンは持たなかった。
女性は口を開きかけて、閉じた。もう一度開いて、また閉じた。それを三度繰り返した。
「すみません、うまく言えなくて」
「大丈夫です」
「何が聞きたいのか、自分でもよくわからないんです。ただ」
女性は膝の上で手を組んだ。爪にはうすいベージュのネイルが塗られていて、右手の薬指だけ少し剥がれていた。
「最近、何を聞いても、返ってくるのが全部同じに感じるんです。お店でも、病院でも、役所でも。こちらのご要望にお応えしますって、すぐ何かしてくれるんですけど、それが私の言ったこととずれてて、でも向こうはもう済んだと思ってて。それが何回も続くと」
女性は声を止めた。天井を見上げた。
「自分が何を言いたかったのか、だんだんわからなくなるんです。最初は確かに聞きたいことがあったはずなんです。でもどこに聞いても同じ返事が返ってきて、そのうち、自分の聞きたかったことのほうが間違ってるのかなって」
郁はノートを見た。白いままだった。
「聞きたいことが、ありますか」と郁は聞いた。
女性は首を横に振った。それからすぐに、首を縦に振った。それからまた止まって、小さく笑った。
「あるんだと思います。あるんですけど、もう形がわからない」
郁はペンを置いたまま、女性の目を見た。
「形がわからなくても、大丈夫です」
「書けないですよね、これじゃ」
「書けなくてもいいです。聞きました」
女性はしばらく黙っていた。それから鼻をすすって、バッグから財布を出した。郁はそれを受け取った。女性は「ありがとうございました」と言って立ち上がり、ドアを開けて出ていった。
郁はノートに目を落とした。白紙のページ。日付だけが書かれている。その下には何もない。形にならなかった「なぜ」が、そこにあった。
ペンを取って、日付の横に一文字だけ書いた。
「聞」
それだけだった。答えではない。分類でもない。補償でも謝罪でも移管でもない。ただ、ここに「なぜ」があったという痕跡。形にならなかったものが、確かにこの部屋に存在したという記録。
夕方、郁は窓口を閉めた。ノートを引き出しにしまい、電気を消し、鍵をかけた。
階段を降りながら、今日受け取った「なぜ」のことを考えた。配送料の三百円。環境管理加算。分類コードF-3a。そして、形にならなかった最後のひとつ。
どれにも、郁は答えられなかった。答えを持っていない。調べる手段もない。公式の窓口にはもう「説明」という機能が存在せず、非公式の窓口である郁にはそもそもシステムへのアクセス権がない。郁にできるのは聞くことだけで、聞いたところで何も解決しない。
それでも人は来る。週に八人から十人。口コミだけで、看板もなく、答えも出せない場所に、人は来る。
郁はときどき考える。自分がやっていることに意味があるのかどうか。「なぜ」を記録しても、何も変わらない。分類コードの別表に「回答」の項目が追加されるわけでもない。最適化アシストが原文をそのまま届けるようになるわけでもない。制度は動かない。システムは変わらない。
ただ、と郁は思う。階段の踊り場で立ち止まって、夕暮れの光が小さな窓から差し込んでいるのを見ながら。
かつて電話を取っていたころ、郁が最初にすることは、相手の話を聞くことだった。怒っている人にも、困っている人にも、ただ不思議に思っている人にも、まず聞いた。何に困っていますか。何が知りたいですか。聞いてから、答えた。聞くことと答えることは、二つで一組だった。
いまの郁には、その片方しかない。聞くことはできる。答えることはできない。半分だけの仕事。欠けた仕事。
それでも来てくれる人がいるのは、もう片方、聞いてもらうこと、すら、この社会では手に入らなくなっているからだろう。「なぜ」を口にしても、受け取る人間がいない。「なぜ」を口にしても、「不満」に変換されて返金が実行されるだけだ。「なぜ」を口にしても、それが疑問だったということを、誰も知らない。
郁がノートに書いているのは、答えではない。答えの代わりですらない。ただ、ここに「なぜ」があった、という事実だけだ。
それがどのくらい意味のあることなのか、郁にはわからない。
わからないが、明日も窓口は開ける。十時から。看板は出さない。ドアには何も書かない。ノートとペンだけ置いて、椅子に座って、待つ。
誰かの「なぜ」が、まだ形を持っているうちに届くことを。あるいは、形をなくしてしまったあとでも、ここまで来てくれることを。
瀬川郁の窓口には、答えがない。
でも、「なぜ」を口にすることはできる。